JUGEMテーマ:人生論
今、毎年恒例の賢治祭の準備をしています。今年は、賢治が生まれて120年です。
120年というと、とても昔のことのような、最近の話のような、複雑な心境がわきます。
それと共に、人のこの世の人生は短いものだな、だったら、先の先(死んだ後)まで見て、今やるべきことを見定め、流されず一生懸命生きていかないとと、近頃特に思ったりします。
賢治のメモ(口語詩裏)に、
一、異空間の実在 天と餓鬼、
幻想及夢と実在、
二、菩薩仏並に諸他八界依正の実在
内省及実行による証明
三、心的因果法則の実在
唯有因縁
四、新信行の確立、
というのがあります。賢治は、信仰と科学が一致する地点である「法」を、誰もがわかる作品の形で、伝えようとしたのでしょう。
メモにもあるように、賢治の童話には、明確な「因果律」が描かれます。
自分が行ったことは、寸分狂いなく自分に返ってくるというのは、恐ろしいことです。今生で返らない場合は、来世で返ってくるというのもまた、恐ろしく真剣な現実です。今を生きるということは、そこまで重く、真剣なものなんだと思います。
宮沢賢治は自分の詩を「心象スケッチ」と呼んでいましたが、「心象」という言葉は、ウイリアム・ジェームスの『根本経験論』、オリバー・ロッジ『心霊生活』、平田元吉『心霊の秘密』、渋江保『心象 及び其の実験』等に出てくることを、大塚常樹氏が調査されていますが、これらの本は、いわゆる1848年にアメリカで発生したスピリチュアリズム、近代心霊研究の実験についての本なので、賢治もそれを知った上で、自身の実験の成果として、作品を残しておいてくれたことと思います。
桑原啓善先生は、賢治の親友だった森荘己池先生から、宮沢賢治には「迷った魂のようなものが、よく見えていたようだ」と聞いたそうですが、その賢治が、心配で心配で仕方なくてその魂の行方を見失ったのが、若くして亡くなった妹トシさんです。
「 とし子、ほんたうに私の考へてゐる通り
おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな
そんなしあはせがなくて
従って私たちの行かうとするみちが
ほんたうのものでないならば
あらんかぎり大きな勇気を出し
私の見えないちがった空間で
おまへを包むさまざまな障害を
衝きやぶって来て私に知らせてくれ。
われわれが信じわれわれの行かうとするみちが
もしまちがひであったなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままっすぐにやって来て
私にそれを知らせて呉れ。
みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまっくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。
(おまへがこゝへ来ないのは
タンタジールの扉のためか、
それは私とおまへを嘲笑するだらう。)」
(「宗谷挽歌」より、太字は草薙 )
「タンタジールの扉」とは、『青い鳥』の著者メーテルリンク(ノーベル文学賞受賞者)の劇「タンタジールの死」にでてくるこの世とあの世の境に置かれた扉です。賢治が明らかに、「みんなの本当の幸い」のために、亡きトシさんと通信をしようとしていたのを痛いほど感じます。
蓄音機と電球を発明した発明王、エジソンも親子三代にわたるスピリチュアリストでした。助手のミラー・ハッチンソン博士は「エジソンと私は、心霊の分野を研究することによって、人間の一生を考える上で大変重要な事実が明らかになっていくだろうと確信していた」といっています。史上初めて動く物体の遠隔放送を成功させ(テレビ開発の先駆者)、光ファイバー等を開発したジョン・ロジー・ベアードも、そうだったようです。
私たちも、みんなの本当の幸いを求めるのなら、賢治いうように、「みんなのほんたうの幸福を求めてなら 私たちはこのまゝこのまっくらな 海に封ぜられても悔いてはいけない。」、その気持ちのところに立って、どこまでも真実を求めて生きていかなければいけないと思います。
参考文献 『宮沢賢治の霊の世界』桑原啓善、でくのぼう出版
(つづく)
今、原子力発電の問題が、世界中の人々の重要問題になっています。
私たち、でくのぼう宮沢賢治の会でも、高木仁三郎先生のインタビュー(※1)、藤田祐幸先生の講演会
これから、本当の幸いが何か、もう一度個々人がそれぞれ考え、道を決断する時がきていると思います。
科学は、人の心を吸い取って大きく動く生きものです。これまで、人の営利心ばかりを注ぎ込まれ、自然を無視した感性をもたされ、膨れ上がり、「科学」は大人にさせられてきたのではないでしょうか。
命をかけて、原子力の危険を訴えて、それが法(本当の幸いのための)からはずれるものであることを、声をからして訴えてきた人たちが、鼻で笑われるのを、損をするのを、いろんな場面で私は見てきました。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」宮沢賢治
人はどうしたら、個人が得するためでない、みんなが本当の幸いを得るための科学を選ぶのか。
今回の大変な災害をうけて、企業が垣根を越えて協力した結果、太陽電池(シャープ)を蓄電池(新神戸電機)と結びつけ、完成された発電装置が被災地に送られたニュースがありました。
今、私たちは、自分が蒔いた種が、実をつけ、どれだけ自然から離れた電気を食らう生き方をしてきたのか、その実をかみしめながら、身にしみて感じ始めたところではないかと思います。
原子力施設建設反対運動(に限りませんが)をよそ目に、人ごとと思っていた人たち。「絶対安全です(これだから、科学に無知な、感情的な庶民は困る)」といっていた頭のいい人たち。人ごとではないことを、これからすべての人が思い知ることになると思う。
賢治の思想は、「実際問題」であり、生き方であり、偉い学者が食うために、論文書くために、こねくりまわすためにあるものではありません。
賢治がいったように、童話に書き残したように、「因果律」は、実在する。
私は、そんなにもうけなくていいし、少し不便でもいいから、自然とともに生き、おいしい水を飲み、太陽と一緒に笑ってる、そんな生き方のほうをとりたい。
「 (こんどばら撒いてしまったら・・・・・・
ふん ちょうど四十雀のように)
雲が縮れてぎらぎら光るとき
大きな帽子をかぶって
野原をおほびらにあるけたら
おれはそのほかにもうなんにもいらない
火薬も燐も大きな紙幣もほしくない 」
※1 気圏オペラの役者たち 命をかけた実験、本当の幸いの為の科学を求めた 高木仁三郎
http://www.dekunobou.com/kiken-opera/kiken-opera-takagi.htm
※2 2004/8/14「宮沢賢治を生きる」第一部 講演「まことひとびと索(もと)むるは」
講師/藤田祐幸
http://www.dekunobou.com/kaihou-spe.htm
前々回の続き、生命をテーマに書かれた『青い鳥』(ノーベル文学賞を受賞)で知られる、メーテルリンクの著書『死後は如何』をご紹介します。この本は、賢治の妹トシが通った日本女子大の校長成瀬仁蔵が、参考図書にしており、授業でも度々紹介したらしい本です。賢治の同時代の書物は、賢治が語ることばの意味を知るには、とても大切でしょう。
「従来人智の及ばなかつた『死後の生存』と『再生』とに関して、純然たる科学的研究が試みられた。
新交霊術、或は心霊学、又は実験交霊術と呼ばれるものが即ちそれで、これは一八七〇年以来、亜米利加に発生した学術である。翌年厳密なる科学的実験が、始めてサア・ウヰリアム・クルックスの手で組織されたのである、彼は一個の天才で、これ迄一向人に知られなかつた事実や状態を摘発し、此方面に新なる研究の道を開き、多くの人を驚倒せしめた、一八七三年から其翌年にかけて、彼はフロレンス・クックと云ふ人の助けをかりて、物質生成の現象について前人未発の研究に成功した。
しながら此新科学が本当に確立したのは、S・P・Rと云ふ略号を以て有名に成った心霊研究会の創立以来のことだ。此学会は今より二十年前、英國知名の科学者連の発起で創立せられ、異常な心理現象や感覚過敏の実例について、組織的な厳密な研究をやり始めたのである。此研究は最初エドマンド・ガアネイやエフ・ダブルユー・エッチ・マイヤアスやフランク・ボドモーア等の手で着手され、其の弟子達によって継続されたもので、其の堅忍な忠実なに於て、実に科学的研究の模範である。
イーハトヴは一つの地名である。強て、その地点を求むるならばそれは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな東北、イウ゛ン王国の遠い東と考えられる。
・・・・・
実にこれは、著者の心象中に、この様な情景をもって実在した
ドリームランドとしての日本岩手県である。
そこでは、あらゆる事が可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。
罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがやいている。
(童話「注文の多い料理店」広告文、一部抜粋、現代語表記へ)
私は、この賢治のことばが、とても好きです。この文章を読んで、心の中に映る景色や、吹いてくる風は、胸にせまるものがあります。そんなドリームランドが本当にあることを、いつか誰もがわかる日が来ることを、願っています。その為に、この「科学が信仰に追いつく日」を書いていきたいと思ったのですが、ちょっとご無沙汰でした。
私は、みんなが本当に美しいその世界を見るとき、この世界は、本当にそうなる。それは、童話「ポラーノの広場」で、ファゼーロが、
「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらそれをいまかんがえているのだから。」
といった、そのままだと思います。みなの心に映るもの、それが、この世にあらわれてくる。昔聖者と呼ばれる存在がみな「まず神の国を求めよ」「神の国は内部にある」といったのもそのことだと思うのです。
人は、モノで、肉体だと思っているけれど、本当はもっと巨きな生命で、この体はその表現の一つにすぎない。心は、賢治が書いているように、一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅する事もあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる、肉体にとどまるものではないからです。そして、それは、みんな繋がっていると賢治は教えてくれている気がします。なぜなら、賢治の童話では、動物だけでなく、石もみな心を持って交流しているからです。
私は、人は、この世の中に、神さまの世界を映すために、やってきた、存在だと思います。心を持っている限り、誰一人何一つ例外はありません。そしてそのことを誰もが思い出して、本当の世界を求め、生き始める時に、「罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがや」き、みんなで、この世界に本当の幸いの世界を創れると思います。
だから、賢治は、この広告文に自分の童話の特色として、
[1]これは正しいものの種子を有し、その美しい発芽を持つものである。しかも決して既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を色あせた仮面によって純粋な心意の所有者たちに欺き与えんとするものではない。
[2]これは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しようとはする。けれどもそれは全く、作者に未知な絶えざる驚異に値する世界自身の発展であって決して畸形に涅ねあげられた煤色のユートピアではない。
[3]これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分析とはあっても、たしかにこの通りその時心象の中に現れたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げていても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちには畢竟不可解なだけである。
と続けて書かないではいられなかったのではないかと思うのです。
ですから、賢治の作品は、頭や知識ではなくて、心でそのまま映しとり、感じなければ、賢治が、童話に託し、残したものは鼓動を始めない。それは、いくら頭で愛を、真理を語っても、相手を自分のように思う愛が、心が奥から湧いて来なければ、単なる偽善にすぎない。何もできないし、誰も感動もしないし、何も変わらないのと同じことです。
私は、このでくのぼう宮沢賢治の会で、熊谷えり子先生(著書『こころで読む宮沢賢治』)から、「こころで読む」ことを教わっています。まだまだ賢治が書いたものを捉えるにはあまりに遠く、そこにある美しいものを見て驚いては、まだまだ先があることを感じ、奥は深いなあと思います。だからもっと、心を白紙にして、まっさらな心象世界を映せるように、なりたいです。それは、賢治がいった「未知な絶えざる驚異に値する世界自身の発展」の為にです。
次回から、前回紹介したSPRの生命、魂や霊の研究に戻って、賢治が「イーハトーヴ」=「少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界」といった、心象世界についての研究の続きを書きたいです。有名な「不思議の国のアリス」の著者、数学者でもあるルイス・キャロルもこのSPRの会員であったそうです。そして、「幸福の青い鳥」で知られるメーテルリンクもこのSPRの研究について書いている本がありますので、それを紹介します。
近代文明が忘れてしまった大切なもの、そしてこれからみなが思い出す大切なものが、時間を越えて、いまも光を放っています。
草薙健
19世紀は、科学上の大発見が相次ぎ、技術に応用され、蒸気機関・発電機など世界の物質文明が爆発的に発展した。七つの海と、陸地の三分の一を支配していた超大国イギリスにおいて「科学」で「神」や「愛」の実在を証明しようとした第一級の学者達がいた。
SPR(Society for Psychical Researchー英国心霊研究協会)ーーそこには、パリ大学医学部生理学教授、ノーベル生理・医学賞受賞者のシャルル・リシェー、19世紀イギリスを代表する物理学者オリバー・ロッジ、同じくイギリスの著名な物理学者で、世界最初の天体の写真撮影をおこなった事でも知られる元素タリウムの発見者、ウイリアム・クルックス(現在ではクルックス管の実験等で教科書にでてくる)、ダーウィンとともに進化論の提唱者とされている博物学者・地理学者のアルフレッド・ラッセル・ウォーレス、プラグマチィズムの指導者である哲学者、20世紀最大の心理学者といわれるウイリアム・ジェームス。フランスの哲学者・ノーベル文学賞受賞者のアンリ・ベルグソン等、一流の学者が集う。
SPRには、「不思議の国のアリス」で知られる数学者チャールズ・ドジスン(ルイス・キャロル)も名を連ねており、賢治は、その時代の只中に生きていた。
賢治は自分の童話集をイーハトーボ童話と名づけていた(「注文の多い料理店」からシリーズとして出すつもりであったと思われる)が、その広告文で、「イーハトーヴは一つの地名である。強て、その地点を求むるならばそれは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、(中略)この童話の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。(後略)」と書いている。
また、外国の本を原文ですらすらと読めた賢治にとって、ましてや、自分を科学者と呼んで欲しいといい、月を成分分析から、その地質・状態まで知りながらなお「私が月を月天使と呼ぶのは、これは単なる擬人でない」と書いた賢治にとって、それは必ず興味を持ったであろう研究・世界の動きであった。
最近の賢治研究では、賢治の妹トシの通っていた日本女子大学の創立者、成瀬仁蔵は、その動きをリアルタイムで知っており、トシも講義を通じて、勿論その世界の動きを知っていただろうことが、明らかになってきていると聞く。(『でくのぼう宮沢賢治の会会報誌第7号』にて)
SPRの研究命題は
1.生存する人間相互の五感を越えた意思疎通とその現象原理
2.催眠術及び透視能力の解明
3.感覚器官が通常言われる以上の能力を有するか否かの検討
4.幽霊現象、幽霊屋敷についての証拠能力の強い資料の十分な研究
5.死者との交流と呼ばれる物理現象の原因と一般法則の解明
6.上記の問題に関する、存在するすべての資料の収集調査
であった。
これらの研究は、多くの誤謬と中傷を退けて生命の真相を明らかにする、とてつもない発見をし、内面機構理論を形作っていくことになる。
(続く)
若い人は、無気力だと良く言われる。フリーター、パラサイト、引きこもり、ニート様々な言葉がでてくるなかで、未だにその原因がわからない。
簡単なことで、単に生き甲斐がないにすぎない。モノを得ることも、競争をして他より優越感を感じることも、先が見えているので、心を突き動かさない。大人にだまされ、純粋でいると利用される経験も小さい頃から嫌というほどしてきている。モノ=力=幸福と思って頑張れた世代とは違う。その物質主義が行き詰まって、何のために生きたらいいのか、彷徨っている姿が今の若者の姿ではないか。もう一度立ち戻って、考える時に来ている。
しかし、科学が生まれてきた当初は、まだ科学も唯物的な利己主義(金儲けの手段)に侵されていず、心躍るような真理を探る冒険心を持っていた。命とは何だろうか。人間とは何であり、どんな可能性を有し、どこから来て、どこへいくのか。私は何のために今ここにいるのか。
例えば、蓄音機と電球を発明したエジソンは、科学的な装置を使い、死者との交信を試みていた。テレビ開発の先駆者で、赤外線カメラの発明者でもある、ベアードも他界の存在を探っていた。時代を遡って、元素タリウムの発見者クルックスも数々の霊媒を実験室で調査し、他界の生命を認めた。ダーウィンと協同研究をしていたウォーレスは、元々肉体と同時に、魂の進化論も述べていた。
最近「エクトプラズム」という用語を、周りの学生がみな知っていて驚いたが(漫画の影響らしい)元々は当時の実験で霊媒から抽出される半物質に、当時のノーベル生理学賞受賞者リシェーが付けた名前である。
今では、真の「発見者」たちの理論の根幹は、失われてしまった。物質的な理論の残骸だけが残っているに過ぎないのを、みんなはすべてだと思い込んでいる。
賢治が使う「心象」という言葉は、賢治が生きていた時代、一斉を風靡したそうした生命哲学を有した新科学ーー心霊学や心理学で用いられた用語であったことは、多くの賢治研究者が指摘している。
賢治は、心象スケッチ『春と修羅』の出版に際して、出版社が「詩集」としたのを、ブロンズの粉で消して、「心象スケッチ」と改めたほど、その言葉に固執している。
大正11年の夏、猿ヶ石川の川辺で賢治は生徒たちにこう言った。
「人間は何故生まれてきたか、ということを知らなければならないために、この世に生まれてきたのです。そしてこの問題を本気になって考えるか考えぬかによって、その人の生存価値が決定すると思います。」(関登久也『宮沢賢治物語』より)
かつて、マスコミや、宗教者や、権力者によって情報操作された「真実」を知る時、たとえ、どんなに今、孤独にある人も、自分は駄目だと思う人も、人の命がどれだけかけがえの無いものであったかを知るでしょう。そして人は皆、壮大な計画を担う、欠けることができない一人であったことを知る時に、「人間は何故生まれたのか」という問いに、賢治が出した答え(作品の真の姿)も見えてくるのではないかと思います。
次は、科学が生まれた当初に、生命が永遠であることを証明した欧米の科学者たちをご紹介したいと思います。実は賢治の妹トシは、その実験のことをリアルタイムで知っていました。
血は流れなくても、受験戦争なんていうのも、実はあんまり変わんなかったりすると思う。個性だなんだといっても、ほんとうは、みんなが持ってる共通の何かを、みんな共感できるようにならないと、ほんとうの個性は生まれないと思う。つまり、どこか深いところで、同じものを持ってる確信がないと、お互いの違いを認めることは永遠にできないと思ったりする。
みんなが共有しているものがきっと「命」というものなのだけれど、目にみえないから、すぐ忘れてしまう。
宮沢賢治は有名な童話「銀河鉄道の夜」の下書きで、こんなことをいっている。
「みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちがしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももしおまえがほんとうに勉強して実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえばその実験の方法さえきまればもう信仰も化学とおなじようになる。」(現代語表記にしています)
科学がまだ、人をかならずしも不幸にするとは決まっていない時代に、命が永遠であることを証明しようとした科学者達がいました。もちろん賢治の生きていた時代でもあって、賢治はそのことを知っていました。
こんな時代だから、これから、そんな話を時々、upしていきたいと思います。(草薙)
⇒ 草薙 (12/05)
⇒ ten (01/04)
⇒ 草薙 (03/24)
⇒ 草薙 (01/27)
⇒ 草薙 (11/02)
⇒ ten (09/18)
⇒ ten (09/18)
⇒ ten (09/18)
⇒ 月野原さやか (09/14)
⇒ 月野原さやか (02/14)