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新刊のご案内です
『宮沢賢治入門 宮沢賢治と法華経について』
田口 昭典(あきすけ)著 


定価 1470円(税込) 四六判 280頁
でくのぼう出版 刊
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  宮沢賢治と法華経について




『宮沢賢治入門 宮沢賢治と法華経について』の著者
 田口 昭典氏のこと
           熊谷えり子

 『宮沢賢治入門 宮沢賢治と法華経について』の著者、故田口昭典氏を紹介させて頂きます。去る五月十九日(平成18年)七十七歳で他界された田口氏は、宮沢賢治の研究家で自ら宮沢賢治の死後の弟子を任じておられました。氏の発行する「あるびれお通信」を七年前から送っていただくようになり、その交流から私が知り得た田口氏について、少し書かせていただきます。

  ただ一回お会いした日のこと
 昨年(平成17年)十二月十七日、私は田口昭典氏に会うために日帰りで盛岡まで行った。六年前に田口氏から雑誌連載した「宮沢賢治と法華経について」を出版してもらえないかという話があったのを実現するためであった。
(中略)
 盛岡で初めて田口氏にお会いしたのは、宮沢賢治研究会の草分けで、創立七十周年になる盛岡の「宮沢賢治研究会」の月例会であった。田口氏がこの会のチューターをなさっているという事を聞いたので、伺ったのである。実は行こうと決めてからもなかなか時間がとれず、十二月になってしまい、この日は思い切って万事都合をつけて出かけたのである。私は行く直前まで知らなかったのだが、その日は田口氏が十七年間務めたこの会のチューターをおやめになる最後の日だったのである。私は後日、田口氏の突然の訃報が届いた時、一番にこの日思い切って出かけてよかったと、本当に心から思ったものである。
 盛岡の会では、この日賢治の短歌を田口氏の指導で読む最終回で、大正10年4月賢治が家出上京中、父に誘われ関西旅行をして比叡山を訪れて詠んだ短歌を皆で読んだ。田口氏の手作りのテキストの表紙は比叡山にある賢治の歌碑の写真(田口氏撮影)であった。初めてお会いした田口氏は、十七年も続けただけあってとてもリラックスした様子で、とつとつと静かな飾りのない話し方の中にとても温かいものが滲み出ていた。読書会の終わりには『こころで読む宮沢賢治』をわざわざ持参され、紹介してくださった。肝心の六年振りの著書出版の話の方は、秋田県のご自宅に帰る汽車の時間が迫り、ほんの立ち話しか出来ず、田口氏は「いやぁ、僕のは地味だから売れないから」と言われ立ち去られた。このあと手紙で出版の件を決めた時、田口氏は宮沢賢治は生前二冊の著書しか出さなかったのに、自分は三冊めを出すことになり(賢治には申し訳ないが)、やはり嬉しいと、とても喜んで下さった。けれども結局当初からの約束で賢治の命日九月二十一日の発行で準備を進めた出版は、田口氏の突然の死で死後出版となってしまった。これもまた、賢治の弟子を自認する謙虚な田口氏らしいことなのかもしれない。

(中略)

  公平無私な眼差し、そして美しい人生
 田口氏は、賢治関連書籍や雑誌を「あるびれお通信」に紹介する時、寸評などあまり書かなかった。それは読者が先入感を持たないように情報提供をしようとしたためである。そのような田口氏の公明正大さは徹底していて、著名人大学者も、無名の人も同じ調子で扱った。むしろもっと学会や常識や知名度などのレッテルに惑わされないように編集されていた。世間的評価が高い本や、著名人でも賢治を正しく伝えないものは「つまらない」と寸評があったり、ほんのちょっとしたものでも賢治の心を伝えるものは評価するという具合である。だから桑原啓善著『宮沢賢治の霊の世界』が出版された時は、アカデミックな賢治学会では(「霊」と書いてあるから)全く無視しつづけたが、田口氏はいち早く認め、積極的に紹介している。田口氏自身、宮沢賢治をシャーマンとしてとらえ霊的なものを認めているからだが、それだけでなく霊的な面から賢治研究をするならば『宮沢賢治の霊の世界』を参考にまず読むようにすすめている。
 新聞の切り抜きなどの情報提供を私も時々田口氏にした。また自分の書いた拙い作品論も送って見ていただいた。なぜかいつもあたたかく励ましていただいた。毎回通信に紹介して下さり、これまで誰からも「よかった」の一言も言われた事がなかっので、世界が開けたような気がした。私は拙いものしか書けないけれども、でも書いてもいいのだと初めて思えた。田口氏の励ましと共に実はこの頃夢で、母が私のボロボロの原稿を大切に拾い上げセンタクバサミで洗濯物のように干してくれるのを見た。こんなことがなければ、私は決して『こころで読む宮沢賢治』など出版させてもらうことはなかっただろう。
 田口氏は世のため人のために宮沢賢治を広く普及しようと、高校退職後は「あるびれお通信」を週刊で発行し、三つの賢治研究会のチューターを務め、賢治研究論文は私の知っているだけでも数冊分の分厚い本にまとめられる程書きつづけ、依頼があればいつでも講演をした。賢治研究以外にも、「田沢湖に生命を育む会」の「辰子姫通信」をやはり編集発行していた。田口氏は宮沢賢治のまねをして「雨ニモマケズ」にあるように東西南北奉仕にあけくれるデクノボーそのものを自分の実人生で実践されていたのだと思う。
 田口氏はまた詩人でもある。(中略) 牧野立雄氏は『宮沢賢治と法華経について』の「あとがき」で田口氏を「年を重ねるごとにいきいきと輝きを増したその姿は、「賢治研究者としての理想的な生き方」と書いているが、本当にそうだ。デクノボーというのは走りつづけで大変そうだけど、何て美しいのだろうと思う。
  (「リラ自然音楽」2006年10月号より)



芸術としての人生
           牧野立雄

 幼少年時代から臨終の時まで、つまり賢治の生涯と照らし合わせながら法華経との関連について真正面から論じた研究書は、本書が最初であると言っても過言ではない。しかも本書は、高校生や賢治愛好者に賢治の魅力をやさしく語りかけてきた著者ならではの分かりやすい解説と関連する図表など親切な工夫が施されており、格好の宮沢賢治入門書にもなっている。これから宮沢賢治の研究を志す者にとっては、まさに必読書であると言えよう。
  (本書 あとがきより)

 目次はこちらからどうぞ
序 章
 宮沢賢治思想の中核を探る/法華経はどんなお経か

第一章  幼少・青年時代(〜大正9年)
 浄土真宗に育まれた/模索の時代/法華経との遭遇/廃仏毀釈の嵐と仏教/
 なぜ国柱会か/宮沢賢治の国柱会入会

第二章 上京中(大正10年)の賢治
 家出上京/上京中の生活/上京中の生活 (続)/
 上京中の法華経の布教活動/父の来訪と上方旅行

第三章 農学校教師時代
 花巻へ帰宅し稗貫農学校教諭となる/農学校教師時代/同僚達と法華経/
 妹トシの死と法華経/「法華堂建立勧進文」について/花巻教会所の創立から身照寺へ

第四章 「雨ニモマケズ手帳」から臨終まで
 「雨ニモマケズ手帳」について/「雨ニモマケズ手帳」と法華経/
 埋経について/常不軽菩薩か観世音菩薩か/「雨ニモマケズ手帳」に見る闘病生活/
 「雨ニモマケズ手帳」以後一年/臨終の年、昭和八年/
 臨終前後、九月十七日から二十一日迄

芸術としての人生
 あとがきに代えて  牧野立雄

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