2023年6月につくばにて開催した朗読と講演「デクノボー 宮沢賢治先生」を3月17日(日)に、鎌倉にて開催します。
どなたでもご参加いただけます。お気軽にお問い合わせください。 ★詳細はこちら
[日時]2024年3月17日(日)14時00分〜16時30分 (受付13時30分より)
[場所]山波言太郎総合文化財団
JR横須賀線「鎌倉駅」東口 徒歩15分。江ノ電「和田塚駅」徒歩5分
[参加費]300円(事前にご予約ください。定員になり次第締め切ります)
[申込み・お問合せ]山波言太郎総合文化財団 受付
TEL 0467-24-6564
〈第1部〉
ありがとう 宮沢賢治先生
企画・演出・朗読 でくのぼう宮沢賢治の会
農学校教師時代の賢治の教え子たちが語る、
涙と笑いの感動のエピソードを、
朗読と当時の貴重な映像と音楽でつづる。
〈第2部〉
宮沢賢治 デクノボーの生き方
講演 熊谷えり子
霊性の視点から、宮沢賢治の生涯と『雨ニモマケズ』、
『銀河鉄道の夜』などの核心を語る。
熊谷えり子(くまがい えりこ)
山波言太郎総合文化財団 代表理事。でくのぼう出版 代表。でくのぼう宮沢賢治の会 主宰。著書『こころで読む宮沢賢治』『ネオ・スピリチュアリズム』『スピリチュアルな宮沢賢治の世界』他。
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
第一回はO・Tさんです。
賢治祭 第二部 ポラーノの広場 感想
長へん輪読会の回を重ねるにつれ、レオーノキューストさんを賢治さんと重ねあわせながら読み進めていました。顕在意識では置かれた時代で懸命にでくのぼうになろうとして生きた賢治さんですが、より深いレベルでは、まるで、地球や宇宙の歴史を俯瞰しているような歴史学者、語り部、透徹した観察者、そして山波先生に教えていただいたとおり、変革者であると改めて思いました。
最初の鉛筆稿は昭和2年〜3年にかけて成立しているそうですが、このころの賢治さんは、花巻農学校を退職し、下根子桜で独居、開墾生活をしながら農民に対し肥料設計をし、羅須地人協会を始めています。いくら農民のために献身しても、やっぱり俺ではだめなのかなあ、と自身の心情を吐露する「境内」という詩があるように、そう簡単には農民になれなかった、農民からは受け入れられなかった、農村の変革には手が届かない、なりたい自分に追い付いていない、でくのぼうになれていない、顕在意識では修羅を生きていたのかもしれません。だから、物語の中のレオーノキューストさんは、ファゼーロたちに溶け込んで、共に生きていく選択をしなかったのかもしれない、と思いました。
ところで、「六、風と草穂」における、レオーノキューストさんから村の子どもたちへ伝えられたメッセージは、最終稿では大幅に改変され、外されています。それはもしかすると、より深いレベルでは、この物語は後世の人に託された物語であり、作品が成立してのち、どの時代の人達であっても、無数の人が決意して、無限につくろうとしていく広場がポラーノの広場だから、その普遍性ゆえに改変され、またポラーノの広場は完成を見ずに、物語が終わっているのかもしれないと思いました。
はるか昔から、地上天国をつくるための計画と預言の系譜があるそうです。アクエリアス時代のとば口に置かれた私たちにとって、「ポラーノの広場をつくろうとすること」とは、先人に続いて、「キリスト原理、ネオ・スピリチュアリズムが浸透した世界をつくろうとすること」。それと同義なのではないかと、思い至りました。
ファゼーロたちが酒を飲んだコップを清冽な水で何度も洗い、新しい水を汲んで飲む、このシーンに幽体浄化という、新しい世界のつくりかたが示されているような気がして、だとしたらそれを象徴として受け取りつつ、みんなでそれができるように、今日できることをしてまいります。(O・T)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
宮沢賢治
(写真 K・Y)
令和6年 元旦
でくのぼう宮沢賢治の会
熊谷えり子
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2023年最後の日曜日になりますが、9月23日に開催された宮沢賢治祭のご報告をさせていただきます。
2024年は、でくのぼう宮沢賢治の会メンバーで「朗読・映像・音楽と熊谷えり子代表の講演」を数回予定しております。
2025年もどうぞよろしくお願い致します。
宮沢賢治祭2023 報告
企画/制作 でくのぼう宮沢賢治の会
令和5年9月23日(土・秋分の日) 財団2Fホール
今回の賢治祭は、ポラーノの広場に集った「でくのぼう」たちの祈りと新たな誓いの会でした。
第一部は、今年6月につくばカピオで開催した「ありがとう宮沢賢治先生」と、ほぼ同じ舞台をする予定でしたが、月一回のでくのぼう会の定例会で、皆が集めてきた賢治の教師時代の他のエピソードを聞いているうちに、その先がみえてきて、組み替えているうちに新しい舞台になってしまいました。
賢治のエピソードの一つ一つの場面が、すべて雨ニモマケズの言葉の一つ一つに結晶されている。つまり、賢治の芸術の一番美しいものは、賢治(の生き方)そのものであったということが心に焼き付きました。
第二部は、熊谷さんの構成されたプログラムでした。
当日は、長へん輪読会での感想文を発表する5名の方の思いが、重なりながら、またそれぞれにいろんな色彩を放ちながら、まさにそこにキューストさんと、ファゼーロがいて語っているかのようでした。感想の間に入る、「ポラーノの歌」「ポランの広場」「天上への祈り」の数々が、その世界を大きく広げてくれました。アンケートにもありましたが、実に透明で美しい、発表と合唱でした。
そして、リクエストの声が多く、毎年の恒例となった熊谷えり子ミニ講演では、この激動の時期に、尋常ではない忙しい毎日を送る熊谷さんに、どうしてこんな完成された(?)何十年も前から構想されていたようなお話ができるのかと、驚いてしまいました。(山波財団月刊誌より抜粋)
では、第1部、第2部、講演会の当日の模様を写真とアンケートでご紹介いたします。
〈第一部〉
「ありがとう 宮沢賢治先生 2023」
(写真 K・Y)
〈先生はいつも「自分一人だけはなんとかよくなりたいなどと思ってはいけない。みんな昔からの仲の良い友だち同士なんだからね」といわれていた。—— 小原久雄〉
〈果たせるかなS君は不起訴となり幾日か泣きぬれた瞼を瞬(しばたた)きながら先生のもとに帰って来た。先生はS君の如何にも心からうれしいと云うその顔と姿を窺いながら、はじめて心の底からうれしそうに、「よかったね」とニッコリ笑った。—— 松田浩一〉
〈自分が自分の生活の中で「無私の献身」の生き方をする、これが最大の革命なのです。なんとなれば、想念はエネルギーであり、愛が最大の変革のエネルギーだからです。ですから、これを生活で実践すれば、その人から「空」のもつ宇宙創造パワーが出て、世界が変わるのです。ここに宮沢賢治の独特の革命があります。—— 桑原啓善〉
〜アンケートより(一部抜粋)
〜
◎会場に流れる音楽から、すでに会場はポラーノの広場だった。
今回の賢治祭も又最高でした。
◎ホールに入るとさわやかさとキンチョウ感を感じました。皆様の一生懸命な姿勢に心うたれました。
賢治先生の深い愛情、なみだが流れました。人を正すのは愛ですね。深く心に残りました。
◎全てが、とても感動的でした。
◎宮沢賢治先生の聞いたことがなかったようなお話もきき涙も出ました。皆さんの心のこもった声と言葉が私も今日、生徒になれた気がしました。
◎みなさんのりんとしてすばらしい声が心に響きました。
◎愛に生きる生き方を示してくれ、心に刻み付けられ、又痛い程胸に響きました。人に親切にする勇気をもらいました。
多感な時期の生徒達にいじめ、反抗がなく皆が自分が一番かわいがってもらったと一人一人が思っていることに心打たれました。
◎心の中から感動しました。時を越えても感動があるのですね。
山波先生、賢治さんありがとうございました。
又、その間にかかる由有子さん作曲のリラ自然音楽も、同様に自然の風景の映像も、一瞬にして深い心のところへ連れて行って下さいました。
◎「宮沢賢治先生」のようにその生徒一人一人の未来にまでわたって見通して生徒の人間性を高め、職務に誇りをもてるように育て見守れる先生がこの現代に存在したら、現代の中・高生たちはどれほど目を輝かせ夢と希望を胸に生き生きと生きられるだろうと思いました。そして賢治先生ひとりに任せるのではなく私たちおとな一人一人が向き合う課題なのだと自覚しました。
◎賢治さんが本当にデクノボーに生きたことが、心の底からわかりました。心からわたしも同じように生きたいと思いました。賢治さんの愛がものすごく伝わり、ずっとボロボロ泣いていました。愛は人を変えるし世界も変えるとエピソードをききつつ本当に実感しました。
〈第二部〉
「ポラーノの広場のうた」〜みんなで歌いましょう〜
「輪読会(『ポラーノの広場』)感想文」5名
案内人 熊谷えり子
〜アンケートより(一部抜粋) 〜
◎「ポラーノの広場」は賢治が私たちに地上天国をつくることを託した、そういう作品なのだと理解できた。
託されたバトンをしっかり持ち、地上天国めざしてがんばります。
◎感想文発表で皆さんが触れて下さった、手入れ前原稿のお話が、とてもありがたかったです。賢治さんの、皆さんの真けんさ、自分の初心のことを思いました。
「酒やたばこを飲まずに(自分の娯楽に頼らず)二割の力を得る」人になりたいです。
◎おひとりおひとりの輪読会の感想がすばらしく、もう一度「ポラーノの広場」読み返そうと思いました。
◎発表された方々の本心を感じました。
◎長期にわたった輪読会、力強く読み終えたこと心にひびきました。
◎ポラーノの広場のうた、やはりさいごの由有子さんの自然音楽、ないてしまった。
◎みんなの歌がとても良かった。今までの何十年の中で一番良かった。
〈第二部〉
ミニ講演「地球よ、愛の星に変われ」
熊谷えり子
1 「ポラーノの広場のうた」賢治の書いた楽譜
2 「ひのきとひなげし」初期形 青蓮華になったつめくさの話
3 「ひのきとひなげし」最終形 オールスターキャストは光のアリ
4 決死でないとできない――よだかのように飛べ
〈ひなげしはまっかに燃えあがり、ゆらいで乱れてひらめいて、まるであらしの海の中の沢山の赤い帆船(ほぶね)のやうです。—— 童話「ひのきとひなげし〈初期形〉」より〉
〜アンケートより(一部抜粋) 〜
◎5人の方の『ポラーノの広場』輪読会感想は、客席側にいる私たち皆の心の声を代弁してくれていて、大いに共感してじっと聴き入ってしまいました。
熊谷先生の「地球よ、愛の星に変われ」の講演はさりげなく静かに始まりましたが、圧倒的な力強さをもった私たちへの決死の声かけと受け取りました。(後略)
◎熊谷先生のお話がどれも感銘を受けましたが、「ひのきとひなげし」「オールスターキャスト」のお話が感動的でした。
本物を見極める人間になりたいです。
◎熊谷先生の話、カツを入れられました。
月刊誌にのせて下さい。
◎熊谷先生のお話、言葉がカンタンにはでてきません。
家に帰って何度もメモをかみしめ、もっともっと自分を捨て切ってできることを一つ一つやって(実践して)ゆきます。
◎熊谷さんのお話は、タイトルだけで泣きそうになりました。
すごく大切な内容で、今日来て本当によかったです。気合が入りました。
バトンを受け取ったからにはしっかり働きたいです。
◎えり子先生の講演、賢治さんの長へんとW・イーグルの四大の一致。あらためて地上天国への道すじを見た感じです。
◎地球よ、愛の星に変われ──今の地球を見ていると熊谷先生が山波先生や宮沢賢治先生が私たちに伝えたいことを、必死でおっしゃられていることがわかりました。
◎地上天国の実現が、真実味を帯びてきたように感じました。
◎熊谷先生の講演は、まるで密度の濃い講座を受けているようでした。決死の愛の人に少しでも近づかねばと身のひきしまる思いでしたが、絶望の中にも希望が感じられるような気がしました。
(☆)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
日時 2023年6月11日(日) 午後2時30分~
会場 つくばカピオ
進行・講演 熊谷えり子
6月11日につくばカピオで開催された、朗読と講演「デクノボー 宮沢賢治先生」のご報告です。
以前、賢治祭2015年(鎌倉生涯学習センターきららホール開催)でやって、一般の方にも大変好評だった宮沢賢治の教え子たちの残した実際の愛のエピソード「ありがとう宮沢賢治先生」に続いての一般向け講演となりました。
当日はたくさんの方々が観覧に来てくださいました。そしてとても深い内容の感想をたくさん寄せていただき、ありがとうございました。
では、第1部、第2部、の当日の模様を写真とアンケートでご紹介いたします。
第1部「ありがとう 宮沢賢治先生 」
企画・脚本・演出・朗読 でくのぼう宮沢賢治の会
第1部 参加の方々のご感想(アンケート用紙より一部抜粋)
◇私が宮澤賢治の作品にひかれたのは小3のときでした。当時いじめにあい、学校の図書館で雨ニモマケズをよんで一所懸命にノートにうつして帰った思い出があります。デクノボーということばにひかれました。ただやさしくありたいと願いました。
50才を目前にひかえたある日、急にそのことを思いだし、もういちどノートにかきとめました。
20代、つらい時代にも同じことをしました。 今日、あらためて深く、その思いを胸にやきつけた思いです。ありがとうございました。
◇本日は、ありがとうございました。
あらためて賢治の世界、生き方にふれてこれからの活動に背中を押していただきました。
我が家の家訓は、"雨ニモマケズ"。子供が生まれた時から、直筆コピーをかざり、毎日心にとめています。少しでも"でくのぼう"に近づけるよう精進します。
◇つくばカピオという施設は初めてなので、 友人に連れてきてもらいました。つくばには、立派な運動場がありますね。
さて朗読の時間はうっとりして、楽の音と画面に吸いこまれて、賢治の世界を体験させてもらしました。ありがとうございました。
講演は賢治のデクノボー人格(生き方)が 一人でも多く増えれば、世界から戦争も競争もなくなって、平和の世界になると桑原氏((熊谷講師の)お父様はいっている)、その通りと思います。
そのために、私たちは何をすればよいか、コロナ3年間中、みんなそれぞれ考え、実行したと思いますが、人間の本能を制御する倫理・道徳は常に考えてゆきたいです。
◇賢治の農学校教師時代のいつわを知ることができ、よかったです。
◇第1部では、なんとも神聖な空気を感じ、少し眠くなって来ました が、眠らず皆さんの透明な声の朗読を聴いていました。改めて賢治先生のエピソードに心を打たれました。「生徒諸君に寄せる」は迫力があり、私たち自身に言われているように感じました。
第2部では熊谷先生の説明で、「自分を勘定に入れない」利他の賢治の生き方、自分との違いがまたわかったように感じました。日常、自分の楽しみのために何かすることももちろん利己ですが、それを無理矢理がまんするというより本心から他人の幸せが自分の幸せにならなければいけないと思いました。
世の中が悪くなっているのが自分の中にその暗いものがあるから、自分のことであると改めて思いました。
質疑の時間、質問に答える熊谷先生のお話の中で、結果だけでなく、どのように考えたかという過程も大事というようなことを言われ、改めてそうだと思いました。最近、結果が出せなければ意味がない、というような説をよく聞く気がして、さびしい気がしていました。
私から見ると、神のようである賢治さんでさえ、デクノボーに到達していないと自身では思っておられたのだと改めて思いました。
この会のチラシですが、裏面のつくば駅から会場への道案内の文章がとてもわかり易かったです。
書いてあるその通りに来ることが出来ました。素晴らしい会をありがとうございました。
第2部「宮沢賢治 デクノボーの生き方 」
講師 熊谷えり子
熊谷えり子講師
第2部 参加の方々のご感想(アンケート用紙より一部抜粋)
◇宮沢賢治先生の作品が子供の頃大好きでした。今回、そのお人柄について理解をすすめることができ、とても感動しました。
朗読いただいたこともとても良かったです。
◇前半の生徒たちと賢治のやりとりは知らなかったことが多く、心あたたまるーというよりすばらしい師弟の関係がわかって感動しました。
◇もう一度本を読みたい気分になりました。(あ、読みます!)ありがとうございました。
◇デクノボーになりたかったのは?
(愛の人になって、みんなに奉仕して、宇宙の法に従って)
宮澤賢治の作品を改めて教えていただき、今の生き方を見つめる機会になりました。
死後の世界の階層と、生前の利他の生き方がつながっていくという法華経の深い教えも学ぶことができました。
◇宮沢賢治の生き方を教えて頂き、ありがとうございました。
◇霊性からのお話は一つの光を感じることができましたが、もっと深くせまりたいと思いました。
◇雨ニモマケズを読んで、自分の欲や感情にふりまわされている時、気持ちが落ち込むことがありました。
今日のお話を聞いて同じように思う方もいらっしゃって、そうゆう時に自分はどう行動をしていくか...
少しでも愛をもった行動ができるようになれたらいいなと思いました。
◇朗読会よかったです。
◇二部、修羅の世界を春にかえる。自分のエゴを利他に変える。必死でたたかって生きる。光を放つ。そういう人になる努力をしようと思いました。
(★)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
読むといつも考え込んでしまう作品です。
気のいいベゴ石が最初は稜石たちの退屈しのぎのからかわれ、ついには自分にのっている苔にも馬鹿にされ野原中から悪く思われてしまうのが辛い。
でもベゴ石は、どんなにからかわれても馬鹿にされても悪口をいわれても言い返したりしません。逆にありがとうとお礼を言ったり、ちゃんと誠実な受け答えをしてをみなえしが気を悪くしたと思えば素直に誤り、苔たちが良くない歌をうたったときは素敵な歌を作ってあげたりします。そしていつもしずかに霧の中にいたりお日様と青空を見上げたりしているのです。
最初は稜石たちのちょっとからかっただけからはじまってベゴ石の気のいいのをいいことにみんな段々図に乗っていく。この「ちょっとからかっただけ」が野原全体に広まって結果みんながベゴ石を馬鹿にしたり無視したり悪口言ったりにつながるのって現実生活でもあることで怖い。どうして誰もベゴ石を擁護しなかったんだろう。でも自分の中にも見て見ぬふりや本気で同調してないにしても悪口に相づちをうってしまうことある。身につまされます。
最後標本として連れていかれる際、ベゴ石は自分がこれからいくところはここのように明るく楽しいところではないといい、けれども私共は、みんな、自分でできることをしなければなりませんと挨拶する。ベゴ石の居なくなった野原はとても寂しくなってしまっただろうそして失ったものの大きさにあとから気付くんだろうなと思うとちょっと落ち込んでしまう。失って気付くことが多いので。
そして、目の前にあることものひとを大事に生きていかねばとあらためて思うのです。
べご石のように生きたいキャットハンド
富士山本宮 浅間大社境内(撮影 キャットハンド)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
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宮沢賢治の教師時代のエピソードを、ふんだんに盛り込んだ朗読と講演の会
「デクノボー 宮沢賢治先生」を6月11日(日)に、はじめてつくば市にて開催します。
1部はでくのぼう宮沢賢治の会で企画し、映像、音響、朗読もみんなメンバーたちで担っています。
手作り感満載ですが、少しでも教師時代の宮沢賢治にふれていただけるとうれしいです。
講演は、熊谷えり子代表がデクノボー宮沢賢治について深く語ります。
きっと目からウロコのお話になることと思います。
どなたでもご参加いただけますので、お気軽にお問い合わせください。
大きな勇気を出してすべてのいきものの
ほんとうの幸福をさがさなければいけない
──宮沢賢治
☆内容
1部
ありがとう 宮沢賢治先生
企画・朗読 でくのぼう宮沢賢治の会
農学校教師時代の賢治の教え子たちが語る、涙と笑いの感動のエピソードを、
朗読と映像と音楽で綴る。
第2部
宮沢賢治 デクノボーの生き方
講演 熊谷えり子
霊性の視点から、宮沢賢治の生涯と『雨ニモマケズ』『銀河鉄道の夜』等の核心を語る。
[日時]2023年6月11日(日)14時30分〜16時30分 (受付14時より)
[場所]つくばカピオ 2Fリハーサル室1
つくばエクスプレス「つくば駅」徒歩約10分。
※利用者専用駐車場はありません
[参加費]無料(事前にご予約ください。定員になり次第締め切ります)
[申込み・お問合せ]事前に必ずご予約ください。
山波言太郎総合文化財団 受付担当 ヤギまで
TEL 070-3971-7889
☆クリックするとPDFがみれます
山波財団案内ページはこちら ★
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
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☆ポランの広場あらすじ
『ポランの広場』では、『ポラーノの広場』に出てきた「デステゥパーゴ様の」広場ではなく、「お菓子やオーケストラだっていくらでもあるほんとうにいいところ」というポランの広場が登場します。
また、ポラーノ広場のファゼーロは青年でしたがポランの広場に出てくるファゼロはファリーズ小学校の生徒でキューストさんは「私」で登場します。
ファゼロはポランの広場に一度行っただけでそのあといくら番号を調べてもポランの広場をみつけることができませんでした。馬車別当に邪魔されたりしながらも、丹念に探しつつけ、つめくさのあかりが全部ついたところで番号を数えるという手法で、とうとう「私」と一緒にポランの広場にたどり着きます。カブトムシの鋼のはねがリインリインと空中に張るような音がたくさんきこえてきて、ポランの広場はあらわれます。貴族や貴婦人のようなすてきな人たちがたくさんいて、「私」は気おくれしてしまいます。ファゼロがぼくのずぼんに黄のすじを入れておくれというと蜂たちが花粉をもってきていれてくれたり、衣装係がいて洋服をつくってくれるのです。「私」も「名高いポランの広場にこれから何が起こるのかすっかりみてやろう」と覚悟を決めると立派に衣装が整っているのです。山猫博士もやってきてブドウ水を頼む「私」とファゼロに「水をのむやつがくると広場も少ししらっぱくれるね」といい、オーケストラの音楽にいちゃもんをつけたり、飛び入りの歌が行われてるところにちゃちゃをいれたりして、ファゼロに決闘をふっかけます。けれども終いには自ら尻尾を巻いて逃げていきました。そのあとのブドウ園の農夫が「つめくさの花がともすちいさなあかりはいよいよ数を増してそのほか空気はいっぱいだ。」という農民芸術概論ようなとてもいい演説をします。すっかり夜もふけ「私」はもっと居たいというファゼロを連れて、つめくさの番号を数えながらかえります。
数日後「私」がポランの広場へ行きたいというと、ファゼロはつめくさは枯れて番号やなんかめちゃくちゃでポランの広場の行く道なんかわかりやしないと告げます。ところが野原へ行く途中、ファリーズ小学校の生徒たちが「このごろはつめくさのあかりでなしに方角でだけ行くらしい」といい、とたいまつをかざしながら進んでいきます。たいまつの火の粉は地面に落ちつめくさも見当たりません。とうとう迷子になってしまいます。そしてたいまつの火が消えます。どうなることかというところで羊飼いのガロが登場し助けられます。
最後は「私」が出張に行った話で途切れています。
☆『ポランの広場』感想
ファリーズ小学校の生徒たちは、なぜたいまつの火と「方角」ではポランの広場を見つけることができなかったのでしょうか。ガルさんはたいまつの火をつけて歩くとあぶない、誰かいけないやつにみっけられたりしたらどうするんだこんな真っ暗な晩は野原はこわいんだと叱ります。そして方角なんてだめだいときっぱりといいます。
つめくさのあかりで番号を数えていくことは自然から教えてもらいながらポランの広場を探すこと,
一方、たいまつの火と方角でさがすことは、樹木を犠牲にして火の粉をまき散らしまわりも自分たちも危険に晒しながら広場を探すことではないかと思いました。そしてそのたいまつの火と方角で探す方法はまっくらな野原では誰か悪いものに見つかるかもしれないと羊飼いは言います。たいまつの火ではつめくさのあかりをうかびあがらせることはできずかえって間違った暗い闇へふらふらと進んでしまいます。それは幸せになりたいと科学技術を発展させそのあげく自然を破壊し間違った方向へ進んでいっている人類のようです。まっくらな中でたいまつの火をみてほくそえんでいるのはサタンさんのような気もします。けれどもたいまつの火がきえたところで子どもたちは助かります。もしかしたらたいまつの火とは人間のエゴなのかもしれません。
またつめくさのあかりのことをときどきあかしと言いかえているところから、ほんとうの広場にたどり着くにはこっちだよと教えてくれているのかもしれないと思いました。
キャットハンド
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
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子どもが通っていた小学校で、毎週水曜日、絵本の読み聞かせボランティアをしています。私は、全学年で、当会のヒームカさんが作成してくださった、宮沢賢治の「気のいい火山弾」と「いちょうの実」の紙芝居を交互に読んでいます。
先日、一年生のクラスで、「いちょうの実」の紙芝居を読んだ後、一人の女の子が、「とっても感動しました。子どもたちが旅立ってしまって、お母さんの木がかわいそう。」と涙ぐみながら感想を話してくれると、隣の席の女の子も、一緒に泣き出してしまいました。あまりに素直な感想に、一瞬言葉を失いました。子どもたちの純粋な心に、賢治さんの物語がまっすぐに届いているんだなあと思うと、何とも言えず幸せな気持ちになりました。
これからも、賢治さんが残してくれた「すきとおったほんとうのたべもの」を、せっせと、子どもたちにお届けできたらいいなと思っています。
(マルメロ)
絵 ヒームカ
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異稿の馬車別当は愉快な愛すべきぢいさんです。ぢいさんなのに小学生のファゼロにポランの広場へわしも連れてってお呉れんかとお願いし、咽頭を一つこきっと鳴らしてあゝ早くポランの広場に着いて上等の藁酒を一杯やりてい、といい、又三郎やファゼロが歌を歌えば馬車別当も歌うけれどそれは「蟹は平たい茶色の石の下に居る」という見たまんまの歌だったりします。そしてぢいさんなのに又三郎やファゼロと三人で手をつないでぐるぐるまわり、歌ってはねて歩きます。
しかしこの物語が書かれた当時、足の曲がった方(おそらくハンディキャップのある方)が生き延びていくことはどれほど大変だったでしょうか。本稿では「このごろはいつも酔ってゐる馬車別当」がつめくさのあかりを数えるナイーヴなファゼーロたちを嗤います。「這ひつくばって花の数を数へて行くやうなそんなポラーノの広場はねえよ」と。
異稿はあったらいいなという世界、馬車別当がそのままでいられるような世界が淡い色彩で描かれているとすると、本稿は登場人物が深い青の中に置かれ輪郭のくっきりした線で描かれているように思います。そこでは現実に苦悩し そうふるまわざるを得なかった彼らに出会います。持つ者と持たざる者との間にある圧倒的な格差と容易には突き崩せない関係性の中でそれぞれが息をしています。
ある日、山猫博士が来年の選挙のために皆にただで酒を呑ませていた偽のポラーノの広場にファゼーロは迷い込み、山猫博士と決闘をする羽目になります。結果雇い主のテーモからひどい仕打ちを受けることは明らかで、テーモのもとへどうしても帰れなかったファゼーロは失踪してしまいます。ファゼーロは失踪という消極的な選択をしたかのようですが、しかしそれはもはや使役される立場に甘んじることはできないと、尊厳をかけ決然と立ち上がった地点であったともいえます。やがてよい出会いがあってファゼーロは革の加工技術を身に着け村に戻ることになり、かつて密造酒を醸造した設備を再利用し村のみんなと革の加工・ハムの製造に取り組み、三年後には産業組合を作るまでになります。ベジタリアンのはずの賢治さんが物語の中で革の加工やハムの製造を扱うことに違和感を持ちましたが、それだけにおかれた場でできることに具体的に取り組んでいくことでのみ「はえある世界」は「ともにつくら」れていくことが示されているようです。あったらいいなの淡い世界に浸るだけ、イメージや想念では現実の変革には至らない。『宮澤賢治の霊の世界』で 山波先生がおっしゃっていた「無名で、孤独で、しかし絶えず自分の置かれた環境で、自分が学んだ知識や技術で、献身して骨を地に埋め」ようとする、そんな人たちで本当のポラーノの広場はつくっていけるように思うのです。
(O・T記)
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音楽劇 小さなちいさな風の中の賢治たち
〜ココロとカラダで旅する イーハトーブの世界〜
2023年3月26日(日)
会場 福岡市・なみきスクエア内 なみきホール
小学生から中学生の子どもたちによる舞台公演です。
詳細 https://www.namiki-sq.jp/event/2023/02/1534.php
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
節分も過ぎ、早や立春。先日ダルマストーブ(日付:2012/3/11)の写真を発見。ストーブの火を眺めていると【貝の火】の一節にある
〜「玉は赤や黄の焔(ほのお)をあげてせはしくせはしく燃えてゐるように見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでいるのです。〜目からはなすと又ちらりちらり美しい火が燃え出します」というシーンと重なり、心身ともにほっこり暖かくなって和んでくるのを思い出します。
しかし、童話の後半では宝珠を手にしたホモイは周囲からチヤホヤされ、やがてやさしさと謙虚さを忘れだんだん慢心と傲慢さが芽生え、両親にも心配をかけ続け、ついに宝珠は鋭くカチッと鳴って二つに割れその粉がホモイの目に入って玉のように白く濁りまったく物が見えなくなってしまうのです。このシーンはとても衝撃的。
そして、「たった六日(むいか)だったな。ホッホ」とふくろうはあざ笑って室(へや)を出て行き、最後に「カン、カン、カンカエコカンコカンコカン」とつりがねそうが朝の鐘を高く鳴らしました。
この鐘は何度も童話の中で鳴り続け、とても心に響き印象的。
この鐘は警鐘かも・・・?。
賢治さんも慢心しないようにいつも自戒の念をもっていたようです。
十数年ぶりにダルマストーブに火を焚き、やさしさと謙虚さを忘れないためにもその火を眺めながら初心に帰りたいと思う今日この頃です。
2023/2/12 記 デメ
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
]]>2022年11月27日は賢治さんの妹トシさんの没後100年でした。
以前、でくのぼう会の会報誌でインタビューを受けてくださった『宮沢賢治妹トシの拓いた道―「銀河鉄道の夜」へむかって』(朝文社/2003年9月刊)の著者山根知子さんの新著書が発刊されます。
トシの没後90年頃から日本女子大学校時代の新たな書簡や授業答案が発見されてきたそうです。山根さんは天上のトシから与えられた贈り物としか思えない、そして没後100年あたってトシさんの言葉を一望できるように『賢治の前を歩んだ妹 宮沢トシの勇進』としてまとめられたとのことです(*
発売は春風社から4月の予定です。
あらたなトシさんの言葉、とても楽しみにしています。
キャットハンド
(* 舞台「ケンジトシ」パンフレットより
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宮沢賢治祭2022
企画/制作 でくのぼう宮沢賢治の会
例年どおり賢治さんの命日に近い日(9月)に開催予定だった、宮沢賢治祭 2022。
昨年は、奇しくも11月26日、宮沢トシさんが100回目の命日を迎えるその前日に開催することになりました。
でくのぼう会代表 熊谷えり子氏の講演会(第2部)「―没後 100 年― 宮澤トシの生涯の意味をたずねて」は、今回の全てのプログラムを総括するような内容でした。
第1部は2019 年賢治祭でとりあげた童話「グスコーブドリの伝記」の内容を、現代社会の実相に則してさらに深く掘り下げ、単なるお話としてではない実際問題として捉え、そして山波先生(山波言太郎総合文化財団 永年名誉会長 )が語られた、自己犠牲の本当の愛と奉仕(決死の愛)の法則を伝えることを目標にしていました。
第2部は、宮沢賢治がメロディーに歌詞をつけて実際に唄っていた歌、から始まりました。青木由有子さんが伴奏を弾きにきてくださいました。
そして、長編輪読会「グスコーブドリの伝記」の講座に出席された2名の方がご自分の人生をかけて読んだ、ブドリへ寄せる感想文を発表してくださいました。
では、第1部、第2部、講演会 の当日の模様を写真とアンケートでご紹介いたします。
〈第一部〉
グスコーブドリ ーでくのぼうー の伝記
アンケートより(一部抜粋)
◎「グスコーブドリの伝記」自体が元々深く多くのことを語っている物語ですが現代の身近な社会問題にからめて脚本が描かれ、心を打ちました。皆さんの朗読の声が優しく、音楽と絵が美しく、涙あふれました。
◎一部ずつテーマがあげられていて、それぞれに心うつことがありました。グスコーブドリが作られた当時の状況をうかがうとどれだけ皆の幸福を祈って、この童話を書かれたのか。「書くことと生きることは一つ」という熊谷さんの言葉が、残ります。
◎第五部「秋」ナレーション、最後に読まれた詩(※「境内」の1節)で涙が出て、そして励まされました。 今壁にぶちあたり苦しみの最中ですが、世のため人のため地球のため前進していこうと思います。 ありがとうございました。
◎ブドリさんの精神と自分のリアルな精神が違いすぎて反省しました。ブドリさんのように、本当に心の底から世のため人のために生きていきたいです。ヤングケアラーや貧困の問題は、自分の問題だと思います。自分の価値観、生き方をかえていきたいです。
◎最近、自分が直面している問題そのものでした。自分の不利に怒り、相手の不利を全く考えていなかったことを心の片すみで分かりつつも見なくなっていました。ブドリ(賢治)の「相手の不利だけを心配し、地味な姿勢でいる」ことが今の自分に最も必要なことだったので、今回本当にギクリとしてばかりでした
〈第二部〉
「賢治の唄った歌」
「ポラーノの広場のうた」
「牧者の歌」
「種山ヶ原」
指揮/青木由起子 ピアノ/青木由有子
アンケートより(一部抜粋)
◎指揮もピアノも皆の歌もとても良かった。
◎今日集まった皆さんの善意のきれいな想念の風が、今戦争している国・人々、つらい 立場にある人々の所へ届きますようにと歌 いました。
◎なつかしいような歌も清らか な歌もユーモラスな楽しい歌 も...、賢治さんありがとう!
「ブドリへ寄せる感想文」
2名の方の感想文朗読
アンケートより(一部抜粋)
◎感想文の発表のお二方とも 素晴らしかったです。自分ができることをやり切るということだと思いました。
◎ブドリの感想は、おふたりとも深く勉強なさって、デクノボーそのものだと思いました。
◎ブドリに寄せる感想文で、ブドリさんは自分にできる ことをできる限り一生けん命やる、そして後はたくす、と言うこと。感想をのべた お二人と同じ感動をもちました。本当にとうとい。
「ミニ講演」
「―没後 100 年―
宮澤トシの生涯の意味をたずねて」
熊谷えり子
アンケートより(一部抜粋)
◎熊谷先生のお話に感動して涙をぬぐった。 心底でくのぼうになろうと思った。もっと長く、もっと詳しく聴きたかった。次回はもう少し長くこの時間をとってほしい。あっという間の2時間半だった。3時間でもよかったと思った。
◎トシの生涯は聞いていて胸が何故かドキドキしてしまいました。心の傷、それも深い深い傷をおいながらも自分を律する強さや、 決して他人を責めない清らかな心にとても 感動しました。是非、文章やテープなどで もう一度聞きたいです。
◎「永訣の朝」の朗読で涙がながれました。
◎熊谷先生のミニ講演を聴き、トシさんという人は、そんなに大変な思いを抱いて生きられたのか...と初めて知ることができました。まじめで正直、一筋の道をまっすぐ誠実に生きる姿に涙、涙...でした。見習いたい。 トシさんだから、ケンジさんの妹さんが(変な言い方ですが)つとまったのかなと思います。すごい人です。
(☆)
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アフガニスタンのために尽力し2019年12月に凶弾に倒れた医師中村哲さんの記録映画のポスターを友人が見つけました。区役所のホールで自由席、料金もお手頃です。さっそく一緒に観に行くことにしました。開催日はいいお天気で開場前から人が並んでいます。平日の昼間にもかかわらず席はあっという間に埋め尽くされました。最初は後ろの方に座ろうとしたのですが前方の真ん中があいていたのでそこに座って上映を待ちました。
司会者と同時手話通訳者の方が出てこられました。聴覚や視覚が不自由な方にも機器の貸し出しがあること、映画は字幕がでる代わりに画質がブルーレイより落ちること、会場に監督兼撮影の谷津賢二さんがいらしていること、上映後監督のアフタートークがあること、その際には同時手話通訳がありまた同時字幕がスクリーンに映し出されること、言葉の意味と字幕の漢字が違うときは都度修正しますなどのお話がありました。
あとで知ったのですがこの上映会はNPO法人ここずっとが行う<ここdeシネマ>というバリアフリー上映だったのです。http://www.cocozutto.jp/cinema/cinema.html
なんの予備知識もなく中村哲さんの映画を大きな画面でみられると喜んでいた自分を恥じました。ドラマ「silent」でも広く知られるようになった音声を文字に変換できるアプリ他の紹介チラシもいただきました。映画とアフタートークの後、会場に白杖を持った方もいらしてたことに気が付きました。
「ヨクミキキシワカリソシテワスレズ」賢治さんの「雨ニモマケズ」の一節を思い出しちゃんとまわりのことを見ていなかったことを反省しました。
上映を企画して実行してくださったスタッフの皆さまありがとうございました。
映画も監督のアフタートークもとても良かったです。映画自体の感想はまた別の機会にでも。
キャットハンド
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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
みんなでポラーノの広場を探しましょう。
ポラーノの広場のうた
宮沢賢治
つめくさ灯ともす夜のひろば
むかしのラルゴをうたひかはし
雲をもどよもし夜風にわすれて
とりいれまぢかに年ようれぬ
まさしきねがひにいさかふとも
銀河のかたなにともにわらひ
なべてのなやみをたきぎともしつゝ
はえある世界をともにつくらん
令和5年 元旦
でくのぼう宮沢賢治の会
熊谷えり子
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今年も当ブログを訪問いただき、ありがとうございました。
2023年が平和な年になりますよう願っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
でくのぼう宮沢賢治の会
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9月といえば賢治祭ですね。
今年も賢治さんのお祭りに合わせた展示を
10日ほど前からスタートしました。
山波財団の2階と3階に展示しています。
今年は「現代のグスコーブドリ」の紹介と、
賢治の童話をテーマにした「鉛筆画展」です。
展示チームがちからを合わせてがんばりました。
ヒームカさんによる原画も、ほんとうに素敵で見応えがあります。
渡辺文庫に、関連書籍を置いてもらいましたので
合わせてご覧になってみてください。
🍎
昨日は、8月27日は宮沢賢治さんのお誕生日でしたね。
賢治さん、おめでとうございます。
]]>車から降りると突然「ゴトーン」と大きな音が響いてきます。また「ゴトーン」と。
えっ何の音だろうと思っていると、どこからか「ザァー」という水の音。「あっ唐臼だー」と思わず声を上げて走って行くと、
唐臼が「ザァー ゴトーン ザァー ゴトーン」と音を立てていました。すると、あちらこちらからも聞こえてきます。
この山里は窯元がそれぞれの唐臼を持っているそうです。一基のところもあれば三其のところもあり、大きいのやら小さめのやらそれ
ぞれの音がハーモニーになって、昼間のシーンとした山里に「ザァー ゴトーン ザァー ゴトーン」という唐臼の音が心に響いてきま
した。店に並んでいる器も今日も静かにこの音を聞いているのでしょう。
ヒームカ(文・写真)
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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
令和4年 元旦
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
──宮沢賢治
でくのぼう宮沢賢治の会
熊谷えり子
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どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも、吹きとばせ
すっぱいくゎりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
九月十二日。一郎は又三郎から聞いたこの歌を夢の中できき、跳ね起きて見ると外ではひどく風が吹いている。一郎は嘉助と一緒に急いで学校へ行き、三郎(又三郎)は既に転校してしまったことが分かる。
私は三郎(又三郎)が去っていくこの場面が好きで、すべてを洗濯してしまうくらいの風が吹いているこの風景に何とも言えない美しいものを感じてしまう。
一郎のように大地の上に一人で立ち、その吠えてうなってかけて行く風のなかに私もいるような気分になり、そして新鮮な心持ちに自ずとなってしまう。
すぐ様々なことに落ち込んでしまう自分も、ここを読む度に新しく生まれ変わって前向きに今日も一歩ずつ生きていこうという気持ちに変わり、これまでも何度も励まされた。
「風の又三郎」の全ての場面にもあるように、たぶん自然界の癒しのエネルギーがここにも強く入っているのだと思う。
輪読会の講座で読む度に、私も三郎(又三郎)や一郎たち子どもたち、そして輪読会の皆さんと一緒にやさしい空気に満ちた自然のなかで過ごさせてもらった気持ちがする。
「風の又三郎」の輪読会に参加させて頂き本当によかった。
正直、こんなにも面白く味わい深い話だとは気が付かなかった。
そして以前より、自然の大切さ尊さに少しずつだが気が付くようになったと思う。
でも、この話はまだまだ計り知れない奥深さがあるような気もする。
「風の又三郎」の輪読会は終わってしまったが、また少しずつ読み直してみようと思う。
(写真・夏原ゆと)
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今年(令和3年)の宮沢賢治祭は、9月23日(木・祝) 山波財団2階ホールにてとり行われました。
第1部は、昨年(2020年)の賢治祭2部のシナリオを少し変えて
第2部では、最後50分にわたって、熊谷えり子講師(でくのぼう宮沢賢治の会 代表)のお話がありました。
コロナ対策も万全に、いつもより参加人数を減らしたものの、静けさの中にも熱気のあるお祭りとなりました。
観覧参加された方々のアンケートから、当日の様子をご報告します。
第1部
不戦の祈り「烏の北斗七星」 ―そして、新たな世界へ―
でくのぼう宮沢賢治の会
昨年の賢治祭第2部を少し変えて演じました。
(アンケートより抜粋)
*みなさんの朗読がとてもあたたかく、すきとおった風のように静かに届きました。朗読、脚本、構成どれもが、昨年よりも更に今の私に深く響き、心に染み入りました。
賢治先生の「大きな勇気を出して、すべての生き物の本当の幸せを探さなければいけない」この言葉が今年は何回も心に浮かんできます。
* 「烏の北斗七星」の企画構成はとても良かったです。
烏が言った「敵を殺さないでいいように早くこの世界がなるように、そのためならば私の体など何ベン引き裂かれてもかまいません」という言葉に命の大切さと愛と不戦の願いが込められています。(略)
* 佐々木八郎ー戦争で戦って決死の愛、本当にギリギリのところで我々が戦争と思って毎日を愛と奉仕で生きていなければ本当に戦えない。不戦の戦いとは自分をしっかりみつめて毎日、決死で生きていかなくてはと強く心に命じました。
* ?進歩が本当の勝利、そのために決死の思いで戦う?ということが本当に、かなり難しいことだと思いました。自分はここに近づけているかと問うと、まだまだだと痛感します。
私もまだまだ「戦争反対」(美談なだけ)だと思いました・・。
* 1番心に残ったのは、「一九九九年のために」の桑原先生の講演記録でした。
先生の生の声が心にささりました。
* ナレーションが皆さん素晴しくグングン引き込まれて行きました。「草山の歌」のように愛は確実に残って、人も地球も変えて行くのだと思いました。藤原嘉藤治さんには涙がこみ上げてきました。
第2部
「愛 宇宙の平和」 ―風とともに、宇宙(そら)へ―
案内人/熊谷えり子
昨年から今年半ばにかけて、山波財団リラ自然音楽クラブの講座「賢治 長へん輪読会」に参加された方の中から4人の方が感想を発表してくれました。とても感動的で、多くの人の心を打ちました。
発表の間に、青木由起子講師の指揮のもと会場全員で3曲を合唱しました。
* 第1部から、第2部の初めに会場の皆様と、新しい世界から吹いてくる透明な風を感じながら「種山ヶ原」を歌う迄、心の深い処の感動で、涙がとまりませんでした。
* 第二部の風の又三郎は会場のあちこちでドドッと風が起りました。会場全体がとてもとても広く感じました。私が風になって地球を、宇宙を回っているイメージが心の奥からわいて来ました。
* 4名の方の発表を聞いていて、作品に対する深い思い、感受性と表現の豊かさに驚かされ、とても感動しました。そして日々の生活でもっと自然と触れ合い、風、空、雲、大地、木や草や花、虫たちみんなと親しくなりたいという思いがジワーッと心に広がりました。
* 「風の又三郎」輪読会での4人の方の発表に一人一人が日常生活の中で風とともに生き、風を愛し、風から教えてもらったことがさわやかに語られとても印象に残り、私ももっと風と友だちになりたいと思いました。
* 耕母黄昏のうたは会場全体とてもすきとおった風が吹いて、別世界のように感じました。
* 合唱が美しかったです。
最後50分にわたって、熊谷えり子講師のお話がありました。
題名「愛 宇宙の平和」
* 熊谷先生のお話が圧巻でした。先生がお話をはじめて間もなく、今日の第1部と第2部の風の又三郎の内容が「自然と共に生きる」ということで1つにつながっていたのだ、と気づきました。
賢治の5つの詩についての考察も、ネオ・スピリチュアリズムと賢治の作品を深く理解する熊谷先生ならではお話でとてもよかったです。(うちへ帰って本を開いてみましたが、とてもそこまで深く読みとれませんでした。)
またこのようなお話を聞かせて頂ける機会があるとうれしいです。
* 熊谷先生の「愛 宇宙の平和」は、もう一度ゆっくり聞かせて頂きたいです。声かけをもっともっと行って、一心同体の愛を持てる人間になりたいと思いました。(略)
* 毎回本当にたくさんの感動をいただいているのですが、今年は特に大きな感動をいただき、これが「心の琴線に触れる」ということなんだなと実感することが出来ました。
きれいにすきとおった風、桃色のうつくしい朝の日光のようにキラキラ輝くものやすきとおったほんとうのたべものをたくさんいただきました。そして自分自身に欠けている多くのものに気付くことが出来ましたし、やらなければならないこともたくさんあることにも改めて気付かされました。本当にあっと言う間の2時間半でした。
最後に賢治先生に向かって全員で拍手をして閉会となりました。■
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]]>JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
賢治祭まで残すところ1ヶ月をきりました。(どきどき💦)
賢治さんのお祭りに合わせて、
山波言太郎生誕100年を記念した展示を、
先週からスタートしました。
山波財団の2階に展示しています。
鎌倉にお越しの際は、
ぜひぜひご覧ください。
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「四又の百合(よまたのゆり)」 (後半) 作 宮沢賢治 絵 ヒームカ
次の夜明になりました。
王さまは帳の中で総理大臣のしずかに入って来る足音を聴いてもう起きあがっていられました。
「申し上げます。ただ今丁度五時でございます。」
「うん、わしはゆうべ一晩ねむらなかった。けれども今朝わしのからだは水晶のようにさわやかだ。どうだろう、天気は。」王さまは帳を出てまっすぐに立たれました。
「大へんにいい天気でございます。修弥山の南側の瑠璃もまるですきとおるように見えます。こんな日如来正徧知はどんなにお立派に見えましょう。」
「いいあんばいだ。街は昨日の通りさっぱりしているか。」
「はい、阿耨達湖の渚のようでございます。」
「斎食の仕度はいいか。」
「もうすっかり出来て居ります。」
「柏林の造営はどうだ。」
「今朝のうちには大丈夫でございます。あとはただ窓をととのえて掃除するだけでございます。」
「そうか。では仕度しよう。」
王さまはみんなを従えてヒームキャの川岸に立たれました。
風がサラサラ吹き木の葉は光りました。
「この風はもう九月の風だな。」
「さようでございます。これはすきとおったするどい秋の粉でございます。数しれぬ玻璃の微塵のようでございます。」
「百合はもう咲いたか。」
「蕾はみんなできあがりましてございます。秋風の鋭い粉がその頂上の緑いろのかけ金を削って減してしまいます。今朝一斉にどの花も開くかと思われます。」
「うん。そうだろう。わしは正徧知に百合の花を捧げよう。大蔵大臣。お前は林へ行って百合の花を一茎見附けて来て呉れないか。」
王さまは黒髯に埋まった大蔵大臣に云われました。
「はい。かしこまりました。」
大蔵大臣はひとり林の方へ行きました。林はしんとして青く、すかして見ても百合の花は見えませんでした。
大臣は林をまわりました。林の蔭に一軒の大きなうちがありました。日がまっ白に照って家は半分あかるく夢のように見えました。その家の前の栗の木の下に一人のはだしの子供がまっ白な貝細工のような百合の十の花のついた茎をもってこっちを見ていました。
大臣は進みました。
「その百合をおれに売れ。」
「うん売るよ。」子供は唇を円くして答えました。
「いくらだ。」大臣が笑いながらたずねました。
「十銭。」子供が大きな声で勢よく云いました。
「十銭は高いな。」大臣はほんとうに高いと思いながら云いました。
「五銭。」子供がまた勢よく答えました。
「五銭は高いな。」大臣はまだほんとうに高いと思いながら笑って云いました。
「一銭。」子供が顔をまっ赤にして叫びました。
「そうか。一銭。それではこれでいいだろうな」大臣は紅宝玉の首かざりをはずしました。
「いいよ。」子供は赤い石を見てよろこんで叫びました。大臣は首かざりを渡して百合を手にとりました。
「何にするんだい。その花を。」子供がふと思い付いたように云いました。
「正徧知にあげるんだよ。」
「あっ、そんならやらないよ。」子供は首かざりを投げ出しました。
「どうして。」
「僕がやろうと思ったんだい。」
「そうか。じゃ返そう。」
「やるよ。」
「そうか。」大臣は又花を手にとりました。
「お前はいい子だな。正徧知がいらっしゃったらあとについてお城へおいで。わしは大蔵大臣だよ。」
「うん、行くよ。」子供はよろこんで叫びました。
大臣は林をまわって川の岸へ来ました。
「立派な百合だ。ほんとうに。ありがとう。」王様は百合を受けとってそれから恭々しくいただきました。
川の向うの青い林のこっちにかすかな黄金いろがぽっと虹のようにのぼるのが見えました。みんなは地にひれふしました。王もまた砂にひざまずきました。
二億年ばかり前どこかであったことのような気がします。
(おわり)
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「正徧知はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河をおわたりになってこの町に入らっしゃるそうだ。」
斯う云う語がすきとおった風といっしょにハームキャの城の家々にしみわたりました。
みんなはまるで子供のようにいそいそしてしまいました。なぜなら町の人たちは永い間どんなに正徧知のその町に来るのを望んでいたか知れないのです。それにまた町から沢山の人たちが正徧知のとこへ行ってお弟子になっていたのです。
「正徧知はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河をおわたりになってこの町に入らっしゃるそうだ。」
「正徧知はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河をおわたりになってこの町に入らっしゃるそうだ。」
もちろんこの噂は早くも王宮に伝わりました。
「申し上げます。如来正徧知はあしたの朝の十時頃ヒームキャの河をお渡りになってこちらへいらっしゃるそうでございます。」
「そうか、たしかにそうか。」王さまはわれを忘れて瑪瑙で飾られた玉座を立たれました。
「たしかにさようと存ぜられます。今朝ヒームキャの向う岸でご説法のをハムラの二人の商人が拝んで参ったと申します。」
「そうか、それではまちがいあるまい。ああ、どんなにお待ちしただろう。すぐ町を掃除するよう布令を出せ。」
「申しあげます。町はもうすっかり掃除ができてございます。人民どもはもう大悦びでお布令を待たずきれいに掃除をいたしました。」
「うう。」王さまはうなるようにしました。
「なお参ってよく粗匆のないよう注意いたせ。それから千人の食事の支度を申し伝えて呉れ。」
「畏まりました。大膳職はさっきからそのご命を待ち兼ねてうろうろうろうろ廚の中を歩きまわって居ります。」
「ふう。そうか。」王さまはしばらく考えていられました。
「すると次は精舎だ。城外の柏林に千人の宿をつくるよう工作のものへ云って呉れないか。」
「畏まりました。ありがたい思召でございます。工作の方のものどもはもう万一ご命令もあるかと柏林の測量にとりかかって居ります。」
「ふう。正徧知のお徳は風のようにみんなの胸に充ちる。あしたの朝はヒームキャの河の岸までわしがお迎えに出よう。みなにそう伝えて呉れ。お前は夜明の五時に参れ。」
「畏まりました」白髯の大臣はよろこんで子供のように顔を赤くして王さまの前を退がりました。
(後半につづく)
6月の輪読会で読んだところは「九月八日」。
三郎(又三郎)や子どもたちはさいかち淵へいき、そこで佐太郎が持ってきた毒もみにつかう山椒の粉で魚とりをしようとしたり、鬼っこで遊んだりする。
輪読会の参加者の方たちが語って頂いた、心に残る場面や感想などから。
佐太郎たちが山椒の粉で魚をとろうとする時、水を見ない又三郎と一郎(又三郎は雲の峰の上を通る黒い鳥を見、一郎は河原に座って石を叩いている)。そして鬼っこの時、怒る又三郎に呼応するように恐ろしい景色へと変わっていく自然界(空、雨、風、雷、草など)。また、どこか異質なものを感じる又三郎とずっと差別なく仲良くしている一郎や嘉助などの子どもたち…等々。
(その他にも興味深い感想はいろいろとありました。一緒に読んでいくのは面白いですね。)
私は佐太郎がまず心に残った。毒もみにつかう山椒の粉を使うと本当は巡査に押さえられるらしいが、佐太郎はそれを使って皆で一緒に魚をとろうとする。結局それで魚は一匹も浮いてくることはなく、私はこの山椒の粉で魚が浮いてこなくてよかった…と思った。と同時に、魚がぜんぜん浮いてこない水を一心に見ている佐太郎を思うと何とも言えず何だかとても気の毒にも感じ、まるでもう一人の自分のようにも思える。
そして又三郎。鬼ごっこで容赦なく一郎や嘉助たちを次々につかまえ、「こんな鬼っこもうしない。」と嘉助に言われ、ひとりさいかちの樹の下に立つ又三郎。
本当は又三郎はどうしたかったのだろう…といろいろと考えてしまう。
そして最も印象的なところは、
すると誰ともなく
「雨はざっこざっこ雨三郎」
「風はどっこどっこ又三郎」
と叫んだものがありました。みんなもすぐ声をそろえへて叫びました。
ここの場面や言葉が心に残り、ここでぐっと世界に奥行きを感じてしまう。
「風の又三郎」を読み始めてしばらくたつが、最近は実際に天候などを気にする時などはふと又三郎たちのことを考えるようになった。(どうしても自然界が無機質な機械のような存在には感じられない。)
あともう少しでこの輪読会は終わってしまいますが、「風の又三郎」は本当に面白いです。
(写真・夏原ゆと)
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三郎(又三郎)や一郎、嘉助などの子どもたちは授業が終わったあとのひるすぎに川下の方へそろって出掛け、そこで泳いだり石取りをしたり、また魚を捕るなどして遊ぶ。そんな情景がここでは描かれている。
みんなは、とった魚を、石で囲んで、小さな生洲をこしらへて、生き返っても、もう遁げて行かないやうにして、また上流のさいかちの樹へのぼりはじめました。ほんたうに暑くなって、ねむの木もまるで夏のやうにぐったり見えましたし、空もまるで、底なしの淵のやうになりました。
この一節を読むだけでも、私も一緒に自然の中にいるような気持ちになり、何だか懐かしく心地がよい。空や樹々や水の息吹き、その中で遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくるような感じがする。
「九月七日」では発破漁をする大人たちも出てくるが、子どもたちは彼らの行動を本当にちゃんとよく見ていて、その漁で流れてきた雑魚をちゃっかり捕るなどして何だかたくましい。
そして専売局の人がやってくると、一郎や嘉助たちは前に三郎(又三郎)が煙草の葉をむしったことが発覚し連れて行かれるのかと思ってしまい、子どもたちは三郎(又三郎)を囲んで隠し体を張って守ろうとする。彼らの小さな体を張ってでも友を守ろうとする健全な強さと、(結局、三郎を連れにきたわけではなかった)大人に対しても気の毒に思ってしまう優しさに何とも言えない純粋な心を感じた。
輪読会でも自然の中で遊んだ記憶が鮮明に思い出される…というような感想があったが、ふと私も小さな頃に近くの田んぼや草むらで遊んだことを思い出した。「九月七日」を読んだ後、近くにあるせせらぎに行き裸足になって足を水につけてみた。それだけで少し嬉しくなり元気が出てくる。一郎や嘉助などの子どもたちのように、私も体を張ってでも大切なものを守る純粋な強い心を今、持ちたいと思う。
瀬上沢近くに流れている いたち川
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先月は「9月7日」のところを読みました。同時に全集第5巻所収の「風野又三郎」についての感想発表が二名ありました。
その一人、O・Tさんの所感を掲載します。
*********************
今回長へんを受講して、ほぼ初めてこの作品に触れました。以前気まぐれに開いたページを読んだときは、又三郎さんのとんがった感じが怖くて、近寄りがたいなあと思ったことがあります。ですが今回はまた違った又三郎さんに出会いました。
又三郎さんは風の擬人化ではなく、生(き)のままのいのちそのものだと感じました。人間ではない自然界の存在だからといって決して聖人君子ではなく、激しくて純粋で縦横無尽、いじわるもするけれどやさしいです。もちろん風として重要な仕事をしています。
大循環という地球規模の大きな仕事、浅草の寒天のような空気を太平洋にさらってかわりに日本アルプスのいい空気をもっていく仕事、松の花や柳の花を運ぶ繊細な仕事など様々受け持ち、大きな存在から小さな存在まで、よく見て知っています。(中国の気象台の小さな助手の子のこと、北極の白熊の全身の毛が銀の針のように見えること...)
最近ではパソコンでグーグルアースを操作すると、宇宙・地球から家一軒までの航空写真を瞬時に見ることができます。又三郎さんの視野はグーグルアースのようで、そしてどんなとらわれからも自由なようです。
宇宙や地球も視野に入れること、一方でとても小さなものをないがしろにしないこと。私たちがいつか見えるようになったらいい世界を、又三郎さんは具体的に教えてくれています。そしていつでも、高い空の上にありながらとてもそばにいてくれる、さわやかな友達のように思えてきました。
友達といえば、又三郎と耕一の息もつかせぬやり取りから。
9月6日、耕一のことが好きなばっかりに、又三郎は雨上がりの山の中で木をゆすって冷たい雫を耕一に浴びせ、おまけに傘をこわして耕一を怒らせました。翌9月7日、「又三郎なんか世界になくてもいい」と耕一は又三郎につっかかり、人間ではない存在と対等にけんかをしています。意地悪で機転の利く又三郎に「(なぜなくてもいいか)箇条を立てて云ってごらん」と挑発され、「それからそれから?」と問い詰められて劣勢になる耕一ですが、風がしている大事な仕事を又三郎から聞かされて素直に感心します。そして「又三郎、おれぁあんまり怒(ごしゃ)で悪がた。許せな。」と伝えると、「さっぱりしていいこどもだねぇ、だから僕はおまへはすきだよ」と又三郎も耕一に伝え、仲直りしています。
ここで驚いた点が二つありました。一つ目は好きの裏返しとはいえ、又三郎のいたずらの容赦のなさと耕一のそれを押し返そうとする力です。又三郎はその人のパーソナルスペースというか、尊厳を冒すような侵襲的なぎりぎりのいたずらをしかけています。学校や会社の人間関係で疲弊している今どきの私たちでは、容易に傷ついてしまうのではないかと思うほどの激しさです。けれども耕一は負けていません。やられても侵襲的な攻撃を押し返そうとする、ゴムまりのような健康な個人の境界があるかのようです。また驚いた点の二つ目は、耕一の柔軟さ、相手の言葉に英知や真理を認めれば、素直に我を折って許せと関係を展開していく力です。この二人のやり取りに、本当に健やかな人と自然、人と人との関係の原型を見る思いがしたのです。
私たちは又三郎さんに出会って、兄弟であるお互いの関係の在り方を、その理想を、かなり具体的に指し示してもらったように思います。
O・T(山波財団 リラ自然音楽クラブ会員)
(写真K・Y 岩手県の風景)
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※発表の内容は記載ありません
3月 われのみみちにたゞしきと 橘香六花
〔われのみみちにたゞしきと〕
われのみみちにたゞしきと、 ちちのいかりをあざわらひ、
ははのなげきをさげすみて、 さこそは得つるやまひゆゑ、
こゑはむなしく息あへぎ、 春は来れども日に三たび、
あせうちながしのたうてば、 すがたばかりは録されし、
下品ざんげのさまなせり。
4月 峡野早春 ten
峡野早春
二すぢ白き日のひかり、 ややになまめく笹のいろ。
稔らぬなげきいまさらに、 春をのぞみて深めるを。
雲はまばゆき墨と銀、 波羅蜜山の松を越す。
4月 コバルト山地 夏原ゆと ☆感想と写真☆
4月、文語詩稿 一百篇から「峡野早春」(発表 ten)と「コバルト山地」の二篇をでくのぼう会の方たちと一緒に読んでいきました。
私は「コバルト山地」を選び発表させて頂きました。私感を少し書いてみます。
コバルト山地
なべて吹雪のたえまより、 はたしらくものきれまより、
コバルト山地山肌の、 ひらめき酸えてまた青き。
「コバルト山地」とは北上山地のことを指すらしい。『春と修羅(第一集)』にも口語詩の「コバルト山地」が所収されており、その中に「たしかにせいしんてきの白い火が/水より強くどしどしどしどし燃えてゐます」という言葉がある。そこからは、コバルト山地(自然界)の癒しのエネルギーがどしどし出ている姿が描かれていると感じてしまう。そして文語詩「コバルト山地」には「コバルト山地山肌の、 ひらめき酸えてまた青き」と記されてあり、ここにも同様の姿がより深く描かれていると思う。
山波財団のさまざまな講座から自然界はずっと太古から癒しのエネルギーを出し続けていると教わっているが、今回この文語詩を読みしみじみとそうなのだと感じた。
この文語詩の先駆形をみると、列車に乗ったいろんな人たちが登場する。人はいろいろな想念を出し、それは自然界や地球、さまざまな世界によくも悪くも影響する。このコバルト山地は長い長い時間、私たちが存在する前のずっと昔から(そして今現在も)、黙って何も文句も言わず人やあたりのみんなを静かに受けとめ見守り続け、あたりの空気をひたすらに綺麗にし続けているのだろう。列車の車窓から変わる景色を眺めつつも、そんなコバルト山地をしっかりとじっと受けとめ、そして共に生き一体となっている賢治さん。(だからこそ、こんな深く厳しくも清々しく明るい文語詩が出てくるのだろう)
この文語詩からは賢治さんのコバルト山地への深い尊敬の念も感じる。
以上、つらつらと私の(思い過ごしかもしれない)感想を書かせて頂きました。けれども深く静かな感動がある文語詩でした。私たちの身近に存在する山々・自然もずっと癒しのエネルギーを出しています。賢治さんのように、私もこの地球の大地をそのように歩いていきたいと思いました。
池子(逗子市)のあたりの山々
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
今年もカルガモのつがいが裏池に飛来。エサを求めて鯉の頭をつついたり、生きていくのに一生懸命。
仲がいいので、次世代のひなの姿をみたいものです。
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「銀河鉄道の夜」の輪読会に久しぶりに出席させていただき、ちょうど新型コロナウイルスが流行り始めていた時でしたので、みなさんでコロナについて話し合いをしました。
みなさんのお話を聞く中で、突然涙が溢れてきて「私の努力が足りないから新型コロナウイルスが生み出されてしまった、そのせいでたくさんの人が亡くなった。私が殺してしまったんだ。」ということに気づき涙が止まりませんでした。
自分が至らないせいで人生を途中で終えた方のことを思うと罪悪感でいっぱいになり、何かしなければ、と思わずにはいられませんでした。
その日の帰り道、1つの決断をしました。
習い事で3年間☆☆を習っていたのですが、私がたまたま選んだ教室が権威のあるところで、○○県でその教室の先生の名前を出すと文化人にはすぐに分かるようなところでした。その教室に習う方々も、旅館の女将や社長さんなどすごい人ばかりでした。けれどそこに通うなかで、地位のある人や名の知れた会社に勤める人に対する態度や、この教室に通っているというプライドなどが少しずつ気になりだしました。1年ほど辞めようか悩んでいましたが、私自身も同じように、いわゆる甘い汁を吸うことに甘んじていました。先生の名前を言うと周りから褒めてもらえるし、○○県の著名人と繋がりがもてたので、ずるずると続けていました。
けれど輪読会で反省した帰り道、何か変わらなければ、このままではダメだと思い、すぐに☆☆の先生に連絡して「辞めます」と伝え、その世界とはしっかりさよならをしました。
辞めなければ、私も変なプライドを持ったまま、リラ研で教わっているのとは違う方向にいってしまうところでした。「銀河鉄道の夜」の「どこまでも行く」という言葉を軸に、まっすぐ前だけを見て進んでいきたいと思います。(A)
※一部発表者の個人情報に触れる部分は☆☆、〇〇 で表記しています。(でくのぼう宮沢賢治の会)
(画 K・K)
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今月は「九月五日」のところを皆で読んだ。
輪読会の参加者からの感想でもあったように、三郎(又三郎)はだんだんと学校の子どもたちや生活に馴染んできている感じがする。(読んでいる私もなぜか温かい気持ちになってくる。)
「九月五日」では、三郎(又三郎)は学校が終わった後に耕助や一郎、嘉助たちと一緒に葡萄とりへ行く。また他の方からの感想でもあったように、前日の「九月四日」では嘉助は死ぬかもしれない経験をしたにもかかわらず、その翌日には皆と一緒に山へ葡萄とりに行くのは確かにすごい。この子どもたちは毎日力いっぱいに生きている感じがして、私も元気をもらった感じがした。その葡萄とりの場面で耕助が、
「うわい、又三郎風などあ世界中に無くてもいな、うわい」
と、三郎(又三郎)へ繰り返し叫ぶところがある。そんな耕助に対し、三郎(又三郎)は
「風が世界中に無くってもいゝってどう云ふんだい。いゝと箇条をたてていってごらん、そら」
と反対に耕助へ問い返す。耕助は一生懸命考えて何とか答えていくが、その様子を読んでいくうちに、ふと私も風を本当に必要と感じているだろうか、日頃はどんな恩恵を受けているのだろう…と考えてしまった。「風野又三郎」の又三郎は、
「…僕だっていたづらはするけれど、いゝことはもっと沢山するんだよ、そら数へてごらん、僕は松の花でも楊の花でも草棉の毛でも運んで行くだらう。稲の花粉だってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていゝ空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁った寒天のやうな空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいゝ空気だって代りに持って行ってやるんだ。…」
と他にもいろいろと語っている。私は風の大切さがよく分かっていなかったなと反省すると同時に、人間と風は互いに影響し合い共に生きている存在なのだとしみじみと感じた。
先日、私の住むここ(鎌倉)では一日中ずっと強い風が吹き続け、本当に地球の空気の大掃除をしているようだった。そしてその翌日は、空も空気も雲も木々も草も花も、みんなが本当に綺麗だった。それを見て私も嬉しくなり風はすごいなあと思ったりした。こんな風に知らず知らずのうちに私たちは風の恩恵をずっと受けているのだろう。そして今日も今もずっと、私たちの近くで、世界のあちこちで一生懸命飛んで風の仕事をしているのだろう。
「九月五日」のところを読んで、自然のひとつである「風」の大切さを少し学んだような気がした。
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銀河鉄道は、死んでこの世を去る人ばかりが乗る列車です。それなのにどうしてジョバンニひとり生きたままでこの列車に乗れたのでしょうか。
ジョバンニは、お母さんが病気、お父さんは出稼ぎに行って不在、疲れて学校の教室でも眠くなったり勉強にも自信を失い、あちこちでバカにされたり白い目で見られたり、子どもとして大変つらい境遇を生きています。ジョバンニに変らずやさしく接してくれるのは親友のカンパネルラばかりです。そのカンパネルラが死んでいなくなってしまうのですから、神さまがジョバンニを深く憐んで、別れの前に二人の楽しい時間を作って下さったのではないでしょうか。そしてたったひとつの心の拠り所のようだったカンパネルラを失っても、きっと涙の中から立ち上がれるように大切な贈り物をしてくれたのです。
銀河のお祭り、ケンタウル祭の夜、傷心のままひとり林のはずれにやってきて星を眺めていたジョバンニは、いつのまにか列車に乗っています。そしてそこにカンパネルラもいたのです。こうして二人でひみつの遠足にでも出かけるように、銀河列車の旅がすうっと始ります。
旅が進むにつれ二人の心のつながりはますます強まり、純粋なものになってゆくようです。その引き合う心のおおもとにあるのは、尊いもの、美しいものへの深い憧れ、もっと言えば無私の愛への憧憬ではないでしょうか。カンパネルラは言います。
「ぼくはおっかさんが、ほんたうに幸(さいはひ)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだらう。」
愛がエゴイズムの対極のものであるなら、一人の人への愛はすでに万人への愛、万物への愛が孕まれているのではないでしょうか。純粋なものであればあるほど、一人の人へと同時にすべてのものへの愛に至ろうとするのが愛の本来の姿なのでしょう。カンパネルラの親切とやさしさには、そういう面があるように感じられます。この言葉は物語全体にまるでレールの音のように響いています。後半、このテーマは深まりを見せて再び現れます。
船で遭難した女の子、かおるとカンパネルラが仲良くなったのにスネていたジョバンニでしたが、三人で星を見ているうちにさそりの火の話になります。かおるはさそりの祈りを教えてくれます。
「どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のため私のからだをおつかひ下さい。」
このあとサザンクロスでかおるの一行は降りてゆくのですが、心通わせた三人にはつらい名残りおしい別れです。天上へ行く駅だから降りなけあいけないと言うかおるに、
「天上へなんか行かなくたっていいぢゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけあいけないって僕の先生が言ったよ。」と、ジョバンニは返します。
大勢降りてガランとなった車内で、ジョバンニは感極まったように、
「カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねぇ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
と、自己犠牲の決意を語ります。
「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」
その時カンパネルラは石炭袋だよ、そらの孔だよと言って、大きなまっくらな孔を指すのです。ジョバンニはぎくっとしますが、
「僕はもうあんな大きな闇の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいはひをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」と言います。
大きな闇もこわくないのは傍らにずっとカンパネルラがいてくれるという心強さが言わせたのでしょうか。でもカンパネルラは列車から消えてしまうのです。そのあとには黒いびろうどがひかっているばかり。ジョバンニは叫び咽喉(のど)いっぱいに泣き出します。そこらへんがいっぺんにまっくらになったように思ひます。
銀河列車で星々の美しい風景の中を、ずっと走ってきたのですが、旅の最後にジョバンニが見ることになったのは、その対極のようなまっ黒い闇でした。カンパネルラは失われ、最もつらいところで旅は終ります。
列車の中でのどいっぱいに嘆き悲しんだジョバンニは夢から覚めて現実に戻っても、どこかでもう知っていたカンパネルラの死の事実にも淡々として向き合い、ひどく取り乱すことはありません。
ジョバンニは、闇を見なくてはならなかったのではないでしょうか。甘い憧憬だけでは?天上よりもっといいとこをこさえる?ことはできません。自己犠牲の決意と、闇にひるまない、打ち砕かれない心が必要です。天の光を自分の胸にうつし、その光が地上の闇を照らしてゆけるようになるまでには。
最後にジョバンニはカンパネルラのお父さんから、もうすぐ自分のお父さんも帰ってくるだろうというよい知らせを得て、それを家へ持って帰ることができます。きっとこれから光の道を行くだろうジョバンニの、一目散に家へ走る後ろ姿が目に見えるように思いました。
H・K (山波財団 リラ自然音楽クラブ会員)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
「風の又三郎」と言えばここの場面がとても印象的だ。
輪読会では参加者が順々に朗読をしていくのだが、それを聞いているうちにどんどん物語の中に深く入っていく感じがした。
この場面に出てくる木や草、風や空などの自然界の息づかいがとてもリアルである。
そして講座の参加者お一人お一人の発言によって、その自然界の畏怖や癒し、登場人物の優しさなどがより身近に感じられるような気がした。
(講座でご一緒させて頂いた皆さま、ありがとうございます。)
「風の又三郎」は、なんと美しい世界なのだろう。
講座の間は、まるで本当にこの世界の中にいるような気がした時間だった。
今まで何度も読んでいる童話ですが、今回はまた不思議で新鮮な感覚でした。
もっともっとこの作品に近づいていきたいですね。
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画 熊谷直人
昨年10月に始まった長編輪読会の初めに、熊谷先生が、「一人ひとりがジョバンニになりましょう。緑の切符を持って、帰って来ましょう」と言われました。私は、今まで遠い憧れの存在だったジョバンニに、いよいよ、本気で近付く努力をしなければならない時が来たのだと、気持ちが引き締まる思いがしました。毎回、先生のこの言葉が発車の合図となり、私たちは、いつの間にか、ゴトゴト列車に揺られながら、美しい天の川の風景の中を旅しているのでした。熊谷先生の道案内の元、賢治さんが宇宙の声を聞くためにジョバンニに姿を変えて旅をした跡をたどる、次元を超えた壮大なスケールの冒険に、毎回、胸の高鳴りを抑えきれませんでした。私たちは、本当に、銀河鉄道の旅を身体一杯に体験していたのです。
それは、自分自身の内面に深く降りていく少し辛い旅でもありました。次々と現れては消えていく登場人物の一人ひとりに自分を重ね合わせていく中で、自分は心底鳥捕りだと思えてきて、自分の中にあるエゴイズムの黒い塊のようなものに向き合わざるを得ませんでした。これまでどれだけ「生命」というものに真剣に向き合ってきただろうかと、日常生活に戻ってからも、ずっと頭から離れませんでした。ジョバンニが、鳥捕りのために、河原に立って100年続けて鳥をとってやってもいい、というほどの深い愛を人に対して持ったことがあっただろうか。この自分自身の中にあるエゴイズムの黒い塊こそが石炭袋であり、それを越えていかなければいけないのだと気付かされました。
そんなちっぽけな私の心をすべて包み込んで癒し、大きな希望を与えてくれたのは、息を呑むほど美しい銀河の風景、ジョバンニとカンパネルラの大きな愛のエネルギーでした。この物語と共に歩んだこの一年間、ジョバンニのように、本気でみんなの本当の幸いを探しにいきたいという思いがどんどん深まっていくことで、今までビクともしなかった自身のカルマの壁を何としても越えていくんだという強い思いが湧いてくるようになり、現実の生活での実践につながり、予想もしなかったような良い変化がどんどん起きてきました。ジョバンニになるとは、日常生活で、ひたすら愛と奉仕のデクノボーを貫き通すことなのだと実感しました。
私たちがこうして次元を超えて、深く物語に入っていけるのは、山波先生が霊的見地から「銀河鉄道の夜」の真相を読み解いてくださっていたからなのだと、今回改めて気付かされ、賢治さんと山波先生が目指していた新しい未来の世界を、私も本気で求めていきたいと思いました。「ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさへなけぁいけないって僕の先生が云ったよ」というジョバンニの言葉を、私たちの先生である山波先生の言葉と心に刻み、この地上の現実世界で、皆の本当の幸いのためにどこまでも勇気を持って進んで行きたいと思います。
H・M (山波財団 リラ自然音楽クラブ会員)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
「早春」は、石碑(ぎんどろ公園)にも刻まれている有名な文語詩ですが、少しづつ調べていくうちにあまりに深くて結局最後までまとまりませんでした。しかし宮沢賢治の生きていた時間に戻り当時を一瞬でも感じられたような気がして何ともいえない気持ちになりました。当日は宮沢賢治の「まこと」を求める熱いゆるがぬ思いに出席者みんなで感動していました。
「流氷」は、でくのぼう宮沢賢治の会の中ではとても有名な文語詩です。なぜなら、リラ自然音楽の青木由有子さん作曲でCDの中におさめられているからです。これがほんとうに美しい歌なんですね。
このコロナ禍で鎌倉に来れず、家で童話「雁の童子」を読んでとても癒されていたヒームカさんが、「流氷」についてあふれるような思いや感想を聞かせてくれました。熊谷さんが「みなで自由に感想を」と言われたのをきっかけにメンバー全員が思いおもいの発言をしてもりあがりました。なんだか銀河列車が走っているような不思議な夜の時間を共有できたように感じました。
※発表の内容は記載ありません
1. 選んだ文語詩未定稿 「早春」 語句調べと解釈(感想)詩を朗読
ポラーノ
早春(定稿)
黒雲峡を乱れ飛び 技師ら亜炭の火に寄りぬ
げにもひとびと崇むるは 青き Gossan 銅の脈
わが索むるはまことのことば
雨の中なる真言なり
2. 選んだ文語詩未定稿 「流氷」 語句調べと解釈(感想)詩を朗読
ヒームカ
流氷(ザエ)
はんのきの高き梢(うれ)より、 きらゝかに氷華をおとし、
汽車はいまやゝにたゆたひ、 北上のあしたをわたる。
見はるかす段丘の雪、 なめらかに川はうねりて、
天青石(アヅライト)まぎらふ水は、 百千の流氷(ザエ)を載せたり。
あゝきみがまなざしの涯、 うら青く天盤は澄み、
もろともにあらんと云ひし、 そのまちのけぶりは遠き。
南はも大野のはてに、 ひとひらの吹雪わたりつ、
日は白くみなそこに燃え、 うららかに氷はすべる。
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ここでは転校してきて二日目の又三郎が登校し、それを見ている一郎や嘉助たちの様子や、教室での彼らのやりとりが描かれている。
「さうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいつ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
と嘉助が突然高く云う場面があるが、読んでいる私もつい「この子はやっぱり又三郎だ。」と思ってしまった。
でも、そんな又三郎も一郎や嘉助たちと仲良くなりたいのだな、そして学校の子どもたちもどこかこの転校生に惹かれているのだなぁともしみじみと感じてしまう。
「九月二日」のところを読んでいるうちに(他の参加者の方の感想でもあったように)懐かしく、また切なく、本当にいろいろな感じがする。
不思議ですね。
今回のところを読んでいると、幼い頃の自分や今現在の自分を振り返ってしまう。
周りにいるどんな人ともいのちとも仲良くなれるように自分も変わりたいなぁ。
また次回が楽しみです。
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]]>サムライ平和17号 (令和3年2月6日発売)
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目次より
巻頭
パンドラの箱が開かれた地球危機の今、
日本の言霊(ことだま)が 世界を救う
山波言太郎
「母性の復活」が人類平和実現への鍵 近藤美樹子
シュヴァイツァー博士とヘレーネ夫人(2)
〈付記 : 新型コロナウイルスの蔓延に関して その2〉
加藤 明
書籍『幸せのナビゲーター──葉祥明の愛と霊性の世界』(仮題)
—学術の正道をもとめて—ソフィアとしての霊学(スピリチュアリティ)(4)
三浦正雄
森の中に立つもの 小野寺市朗
宮沢賢治の劇を読む その四 —『種山ヶ原の夜』考
佐藤桂子
自然界の愛をしると生き方が転換する
── 氷砂糖をほしいくらいもたないでも ──
熊谷えり子
空耳からの見解(けんげ)と科学の使命 花村秀樹
詩 深手 桑原啓善
特集 自然と共に
14名の投稿
他
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山波言太郎総合文化財団HPでは「立ち読み」(PDF)もできます。
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]]>節分も過ぎ、もう立春。風の香りもほんのりと南の風を感じる頃、谷戸の椿もほころびだします。
椿といえば伊豆大島の椿は有名ですが、賢治さんもこの地を訪ねてたくさんの椿を目にしたことでしょう。
賢治さんにとって大島で出会った伊藤チエさんとの秘めたる想いは伺い知ることはできませんが、火の島の歌のように秘める情熱を感じます。
〜海鳴りよせ来る椿のはやしに
ひねもす百合堀り
今日もはてぬ
(「火の島の歌」より)
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宮沢賢治文語詩稿 五十篇 文語詩稿 一百篇 文語詩未定稿(宮沢賢治全集4 ちくま文庫)より、それぞれ自由に文語詩を選び発表しました。1月は、草薙さんと風志野さんです。(発表者の熱量に加え、資料も添付されていて私にはとても共感、感動するものがありました)
※発表の詳細は記載ありません
1. 選んだ文語詩未定稿 「不軽菩薩」 語句調べと解釈(感想)詩を朗読
草薙 建
不軽菩薩
あらめの衣身にまとひ
城より城をへめぐりつ
上慢四衆の人ごとに
菩薩は礼をなしたまふ
(われは不軽ぞかれは慢
こは無明なりしかもあれ
いましも展く法性と
菩薩は礼をなし給ふ)
われ汝等を尊敬す
敢て軽賤なさざるは
汝等作仏せん故と
菩薩は礼をなし給ふ
(こゝにわれなくかれもなし
たゞ一乗の法界ぞ
法界をこそ拝すれと
菩薩は礼をなし給ふ)
2. 選んだ文語詩未定稿 「敗れし少年の歌へる」 語句調べと解釈(感想)詩を朗読
風志野はるか
敗れし少年の歌へる
ひかりわななくあけぞらに
清麗サフィアのさまなして
きみにたぐへるかの惑星(ほし)の
いま融け行くぞかなしけれ
雪をかぶれるびやくしんや
百の海岬いま明けて
あをうなばらは万葉の
古きしらべにひかれるを
夜はあやしき積雲の
なかより生れてかの星ぞ
さながらきみのことばもて
われをこととひ燃えけるを
よきロダイトのさまなして
ひかりわなゝくかのそらに
溶け行くとしてひるがへる
きみが星こそかなしけれ
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JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
この作品は、昭和二(1927)年に森荘己一氏を通して母校である盛岡中学の「校友会会誌」に寄稿を求められたことで着手されます。しかし、結局完成には至らず、別の作品が送られました。
作品が見つけられた様子というのが、森荘己一氏によれば、
「ケイのあるノートに赤インクと青インク鉛筆で書かれてあり、ノートから引きさいて棄てようとしたが、思いとまってさいた頁のところに、またはさんで置いた形跡がある。」だったそうです。
つまり下書きをし、手入れもしたが、棄てようとした。けれども思い直してまたノートに挟んだまま、それきりになってしまった作品のようです。
確かに、有名な作品なのに賢治全集から探すのに苦労しました。新校本では「詩ノート」の終わりのところ、<付録>なんてところにあるのですから。
この四ヶ年が
わたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を
鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふが
私はこの仕事で
疲れを覚えたことはない
この冒頭の七行を読むと農学校教師時代の賢治さんが彷彿とされ、何か新しい風が吹いてきたような感じを受けるのですが、この部分は、手入れの段階で新しく加えられたもののようです。
そしてタイトルも「1927年に於ける盛岡中学校生徒諸君に寄せる」から最初の方が削られ、「生徒諸君に寄せる」だけが残ります。(最終的には、すべて抹消の線がひかれていますが)
昭和二(1927)年の賢治について、熊谷えり子さんは次のように書かれています。
賢治が羅須地人協会を設立して農村の奉仕活動に打ち込んでいた時期だった。 まさしく定められた時空の中で、賢治は必死にすべての人が幸福になる世界をつくろうと生きていた。
(「今蘇るサキノハカという黒い花 宮沢賢治の謎の言葉について」より抜粋)
森荘己一氏は、この作品を「雨ニモマケズ」と同じ生前発表の意志のなかったものとされています。
大きな違いとして、「生徒諸君に寄せる」は「他戒」のことばであり、「雨ニモマケズ」は「自戒」のこと ばであるということをあげておられ、また作品がかかれた時期について前者は、羅須地人協会を つくって農村の中に入り、人生の中でもっとも意気さかんで心身ともに充実した、高揚期に書かれたもので、後者は、二度目の病床で沈静期に書かれたものとされています。そのために、「生徒諸君に寄せる」は、法華経のような、太陽の光焰のような、こうこうと明るいエネルギーにみちており、「雨ニモマケズ」には遺教経のような、深さと静けさが沈潜している、と書いておられます。
賢治という人は、生来本質的に、人を責めること、人を煽動すること、声を高くして人や世に訴えたり、呼びかけたりするというようなことを好まない人であった。(中略)
「生徒諸君に寄せる」とは題されてはいるが、心の深部のどこかでは、すべての人、つまりは成人に向けてかいたものだと考えることもあり得よう。
(「宮沢賢治の肖像」p367−8より 抜粋)
宮沢賢治は霊覚者であることを発見された(*1)桑原啓善氏は、この「生徒諸君に寄せる」を「賢治の、時代変革へのすざまじいまでの意欲と精神が見事に結集されて」いる作品と著書「デクノボーの革命」(でくのぼう出版)の中で書いておられます。 農学校教師という安定した身分を捨て、農村に飛び込んで、羅須地人協会を作り、肥料設計や稲作指導、また農民芸術を作り上げようとした賢治。日々を懸命に奉仕に捧げた中での書かれた作品であったのだとあらためて思いました。 世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。<宮沢賢治> 誰でも時空の制約の中でしか生きられないが、意識(心)は時空を超えるものであり、 人間の心の生み出す思想は生きたエネルギーである。賢治が新しい時代をつくろうとした 無私の献身(心)はなぜか21世紀の今この時代に完納して、今ここに生きていると言える だろう。 (「今蘇るサキノハカという黒い花 宮沢賢治の謎の言葉について」から 抜粋) 昨年(2010年)、「賢治祭」(でくのぼう会企画)で、昔の桑原啓善氏講演の一部やリラ自然音楽の歩みが編集され、ビデオで流されました。その映像を見ながら私は涙を流しました。そして、賢治のあの「生徒諸君に寄せる」の意味がほんの少しだけだが本当に理解できたように思いました。 時空を超えて、ダイレクトに賢治さんからの言葉が体に染みこんだように思ったのです。 「思想はエネルギー」(*2)ということをまざまざと実感した出来事でした。 賢治のように、日常をしっかりと奉仕で生きていきたいと思っております。
(2011年2月 記)
*1 「スピリチュアルな宮沢賢治の世界」P249 熊谷えり子 でくのぼう出版
*2 「宮沢賢治の霊の世界」 桑原啓善 でくのぼう出版
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
寒さのなかにも
木々たちは春の準備をしているのですね
桜のかたい蕾、マグノリアのふわふわの毛…
春がきて無事に花たちが咲きますように
JUGEMテーマ:こころ
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
デクノボー目指し、みんなで歩いていきます。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
──宮沢賢治
でくのぼう宮沢賢治の会
熊谷えり子
(写真撮影 K・Y)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
逗子の海(撮影K・Y)
今年もブログを訪問いただき、また投稿していただきありがとうございました。
2020年は大きな変化が始まりそうな目まぐるしい一年だったように感じます。
来る年が、すべての方々にとって心に希望が芽生える年でありますよう願っています。
2021年もどうぞよろしくお願いいたします。
でくのぼう宮沢賢治の会
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
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寒い日が続きます。コロナ禍のなか、いろいろ不便なこともあるかと思いますが・・
足をしばし止めて土を見ると、そこには植物さんたちの素敵な世界が広がっていたりします。
ひっそりなんですけどね。うれしくもなります。声をかけたりしてますよ、賢治先生見習って(^o^)
風志野はるかさんが、そんなヒトコマを撮ってくれました。
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少し前、友人が開発の危機に迫っている近くの森の存在を教えてくれた。その森に行くとすぐに大好きになり、今では私のとても大事なところになってしまった。教えてくれたOさん、本当にありがとう。そして今までこんなにも近くに存在する自然の危機に気が付くことができなくて本当にごめんなさい。必ず私たちが共に生きられる道をつくっていきますから。
賢治さんの「狼森と笊森、盗森」には
「こゝへ畑起してもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
みんなは又叫びました。
「こゝに家建ててもいゝかあ。」
「ようし。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた声をそろへてたづねました。
「こゝで火たいてもいいかあ。」
「いゝぞお。」森は一ぺんにこたへました。
みんなはまた叫びました。
「すこし木貰つてもいゝかあ。」
「ようし。」森は一斉にこたへました。
という人と森のやりとりがある。
こんな風に人と自然が語り合えたらいいなぁ。
賢治さんの作品を読むと、木々や草花たち、雲や月などの万物が本当に生々しく息をしていて、私も嬉しくなり少しずつ元気になってくる。
そして山波先生から教わった「声かけ=万物との会話」を草木や動物たち、そしていろいろなものに話しかけてみると、その存在がぐっと近くなったような感じがする。その「声かけ」をしているうちに感じたことは、自然と共に生きることを遮断し遠ざかっているのは人である私の方なのだと。
それならば、私たちが近づいた分だけ人は自然に近づくことができるかもしれない。人間が変わった分だけ、世界も変わる。もし人が自然と共に生きることを選べば…。
いろんなことが起きて大変な時代だけれども、今までになかった明るい時代をみんなと一緒に迎えたいと切に思う。
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山内に樹齢百五十年以上?と思われる山桜の木が尾根沿いにひっそりと周囲の樹木に溶け込むように佇んでいます。最初に出合った時からその姿にひとめぼれ・・。
その傍には祠?と思われる石塚が肩を寄り添うように立っており、側面には嘉永云々と刻印。それ以来この山桜はご神木だ! と勝手に思いこみ老木で弱っており、特に大切に養生するように努めています。
土地の人によると昔はこの尾根道を通っていたそうで、嘉永の時代はこの道がメイン通りだったかも・・。その時代に植えたかは定かではありませんが、〜自然と共に暮らし、自然と共に生きた〜時代の素朴で、霊性豊かだった人々の願いがこの祠にも籠もっているような気がしてなりません。
山波先生がおっしゃっていた「自然と共に暮らしなさい 自然を愛しなさい 自然から教えて貰いなさい」を感性と霊性豊かだったみんなが、今こそ思い出す時がきたと感じる今日この頃です。 (デメ)
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*****第2部のプログラムと写真で当日の様子をご紹介します。*****
第2部
戦後75年「不戦の祈り」
― そして、新たな世界へ―
構成 でくのぼう宮沢賢治の会 脚本 草薙 建 監修 熊谷えり子
朗読 でくのぼう宮沢賢治の会
○ 歌いましょう
「種山ヶ原」(ドヴォルザーク) 会場全員
作詩 宮沢賢治・作曲 ドヴォルザーク 指揮 青木由起子
● 人類の強力な迷信
● 童話「烏の北斗七星」 山波〈構想〉メモ より
● 佐々木八郎 「『愛』と『戦』と『死』― 宮沢賢治作 『烏の北斗七星』に関連して ―」
そして、臼淵大尉(『戦艦大和ノ最後』)
◇ 映像 「一九九九年のために」(前文・詩編)
講演・朗読 桑原啓善
(映像編集 熊谷淑?/初出:2015年追悼コンサート)
(講演記録1983年8月14日「不戦の誓いの集い」〈横浜〉)
● 宮沢賢治 作 ― 童話「狼森と笊森、盗森」より―
ワンネス 新時代へ
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開催日 令和2年9月21日(月・祝) 山波財団2Fホール
今回の賢治祭は、「オールスターキャスト」「でくのぼう会はこれまでの経験や技術を生かして裏方で舞台演出をすることに力を注ぎ、クラブ員の方が主役で朗読したり、歌ったり、発表したりする全員参加型のイベントにする」ことが熊谷さんから提案され、それに向けて準備をしていました。テーマはそれぞれ「自然との交流」「不戦の祈り」「銀河鉄道の夜」の3部門として、3月頃にはシナリオも大枠はほぼ完成していました。
しかし、このコロナ禍で休講が続き、そもそもでく会のメンバーも集まることができず、三密を避け、賢治祭の参加人数も制限され(お断りした方ごめんなさい)、極力シンプルにやるために大幅な変更と再構成を余儀なくされました。しかし結果的には、これまでにない程のプログラムに結晶化した形になったと感じます。
*****第1部のプログラムと写真で当日の様子をご紹介します。*****
─プログラム─
第1部
「銀河鉄道の夜」ジョバンニの旅
(構成・脚本)旅の案内人/熊谷えり子
発表 3名 朗読 1名
○ 歌いましょう
「プレシオスの梯子を登れば」 会場全員
作詩 山波言太郎・作曲 青木由有子 指揮 青木由起子
● CD
● 朗読 童話「銀河鉄道の夜 六、銀河ステーション」より
● 発表 (輪読会感想1)
● CD
● 発表 (輪読会感想2)
○ 歌いましょう
「旅人かえりぬ」 会場全員
作詩 山波言太郎・作曲 青木由有子 指揮 青木由起子
● 発表 (輪読会感想3)
● 朗読 童話「銀河鉄道の夜 九、ジョバンニの切符」より
◇ 映像 「懐かしの映像集」
挿入歌「光は銀河の果てに」 〈CD「はるかな国を行く銀河鉄道」より〉
(原作 N・K 映像編集 K・Y /初出:2010年賢治祭)
旅の案内人/熊谷えり子
指揮 青木由起子
発表 (輪読会感想)&朗読
※リラ自然音楽クラブの講座「賢治 長へん輪読会 作品『銀河鉄道の夜』」を受講された方々の中から感想などの発表をしていただきました。
4名(発表3名 朗読1名)
懐かしの映像集
(2部に続く)
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]]>「サムライ平和(ピース)」山波言太郎総合文化財団編集発行 には、でくのぼう宮沢賢治の会のメンバーからも投稿が寄せられています。今回はサムライ平和16号に掲載された「特集 戦後75年を想う」から夏原ゆとさんのエッセイを転載しています。
私は介護の仕事をしていますが、ご利用者の中には先の戦争を体験された方もおられます。その中でも、あるお二人の姿は今でも忘れることはありません。
A氏は私が介護をさせて頂いた当時、某企業の名誉最高顧問という立場でした。東大卒の方で戦時中は海軍の薬剤官の任務に就かれていたそうです。偉ぶることもなく、ユーモアたっぷりの方でした。しかしとある日、同僚が介護中の会話の中で「今何が世界で起こっているのかなんて知らない。アジアの地図も正確には分からない。」という主旨を話したところ、A氏は怒り出し、いきなり同僚の首を絞めようとしました。A氏は顔を真っ赤にし、「俺たちはお前たちのために戦ったんだ。それなのに、お前たちは今そんな生き方をして…!」と悔しそうに絞り出すように震えた声で語られ、同僚の首から手を離されました。またある日、A氏のご家族から「おじいちゃん(A氏)の部屋を掃除していたら、机の中から海軍にいた時の銃が出てきたの。おじいちゃん、銃なんてどうしてずっと持っていたの?」と尋ねられていましたが、A氏は何も語らず涙だけを流され最後まで理由を話されることはありませんでした。某企業の社長をされていた方ですが、銃を傍らに置いて、何か秘めたる覚悟を持って戦後もずっと仕事をされてきたのだろうか…と想像します。
Bさんはとても気丈な方で、当時106歳の女性でした。毎朝4時過ぎに着物を着られ身支度をし、歩く時などは杖を使用され介助が必要でしたが、それ以外は身の回りのことなどは殆どご自身でされていました。裕福にもかかわらず、物を本当に大切にされる方でした。またBさんは名家の方で、先祖はシーボルトとも交流があったそうです。ある日の昼食後、また別の同僚が「(第二次世界大戦は)結局、侵略戦争だったんでしょう。」と仕事をしながらポツリと言いました。その瞬間、Bさんは箸をピシャリと置きました。そして黙したまま、その時ばかりは介助の手も借りず、杖も使わずに背筋をピンと伸ばしたまま、一人でサッサと部屋に戻られてしまいました。その様子は静かながらも、気迫は凄まじいものでした。私は呆気にとられたと同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。戦時中多くの方々は決して私利私欲のために戦ったわけではない…ということを、その時のBさんの姿や日頃からの生き方から私は感じたのです。またBさんのような多くの方々が、戦後何を言われても黙ったまま、それでもひたすら生きてこられたのだろうと思います。
先の戦争については、私にはまだまだ分からない事も多いです。しかし、お二人のことを思うと、私たちはこのままの生き方でよいのだろうか…と考えてしまいます。様々な多様な戦争体験もあると思いますが、それぞれの方の決死の歩んできた道の上に今の私たちの世があります。今も戦争の絶えない世界ですが、もうこれからは戦いのない時代をつくっていかなければ地球も耐えられないと感じます。そういう時代をつくる一人に私もなりたいと、自戒を込めて思います。
(夏原ゆと)
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9月21日(月)でくのぼう宮沢賢治の会恒例となった「宮沢賢治祭」が開催されました。
コロナ禍の中ソーシャルディスタンスを守りながらも、愛あふれる心あたたかな会となりました。
当日の模様はブログで後日紹介させていただきますので、お楽しみに(^-^)
「星めぐりの歌」 宮沢賢治
青木由有子さんの歌をユーチューブからリンクしました。
透き通った声と熊谷直人さんの絵で宮沢賢治さんの童話の世界に思いを馳せてみてはいかがでしょう。
宮沢賢治「星めぐりの歌 」アカペラ 青木由有子/画 熊谷直人
宮沢賢治「星めぐりの歌」歌・青木由有子/ リコーダー・水元若/画・熊谷直人【双子の星】
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2019年10月から山波財団の講座宮沢賢治長へん輪読会『銀河鉄道の夜』を毎月受講しています。講師は熊谷えり子さんです。その時々で参加者は違うのですが皆で少しずつ読んで印象的な場面や心に残ったことなど感想を発言したりします。もちろん発言は自由で何も言わない人もいます。
8月輪読したところは、ケンタウルスの村を過ぎてサウザンクロス駅に到着しせいの高い家庭教師や女の子その弟と別れ、さらに石炭袋を通り過ぎようとしたときカンパネルラとも別れてしまうところまででした。
どこを読んでも素晴らしく内容が深くて掴みきれませんが、今回ジョバンニが「けれどもほんとうのさいわひは一体何だらう」と問いかけた部分が胸にささりました。なぜならジョバンニはその前に「僕はもうあのさそりのようにみんなの幸(さいわひ)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」と宣言していたからです。普通だったら宣言して終わりなのにほんとうのさいわひは何だろうとさらに深く自らに問いたのです。本気で考えるから問いが出たのだ思いました。
そのとき石炭袋が見えます。天の川のひととこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。ジョバンニは底が深くその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛む石炭袋を見て再び決断します。「僕もうあんな大きな暗の中だってこはくない。きっとみんなのほんたうのさいわひを探しにいく。」
ここではみんなのほんたうのさいわひがなんなのかハッキリと答えがでていません。けれども「探しに行く」と大きく前を向いています。そのあとカンパネルラは消えてしまいます。ジョバンニは喉いっぱいに泣きました。
みんなのさいわひのためなら百ぺんやかれてもかまわないとしほんとうのさいわひはなんだろうと問い、石炭袋におののきながらも怖くないとはね返しみんなのほんとうのさいわひを探しに行くと決断するジョバンニ。消えてしまうカンパネルラ。考えても深すぎてなんにも言えなくなるのですがジョバンニの前向きな明るさを自分も持ちつづけたいそう思いました。
9月はいよいよジョバンニが地上にもどってきます。
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エゴから愛へ
人類文明の転換のために──
日本の心と平和を鎌倉から発信する総合誌
サムライ平和(ピース)16号表紙
定価 1、000円+税
山波言太郎総合文化財団 発行
目次
〈カラーページ 〉 山波言太郎 詩「大空をとぶ鳥のように」
◻︎宮沢賢治の霊的世界
桑原啓善
◻︎異界は誘う
三浦清宏
◻︎学術の正道をもとめて
――ソフィアとしての霊学(スピリチュアリティ) (3)
三浦正雄
◻︎シュヴァイツァー博士とヘレーネ夫人(1)
加藤 明
◻︎天と地をつなぐもの
小野寺市朗
◻︎ブルーカーボン紀行 森と海の再生を策ねて
〜北海道 霧多布湿原と風蓮湖を巡って〜
牧 三晴
◻︎コロナ後が「愛と奉仕」の世界に生まれ変わりますように!
近藤美樹子
◻︎戦後の高度経済成長を眼前に思うこと
村井佳子
◻︎宮沢賢治の劇を読む その三 ―異稿『植物医師』考
佐藤桂子
◻︎平和憲法を生きる覚悟
愛の錬金術を描いた「饑餓陣営」
熊谷えり子
◻︎研究論文「念仏僧の時代 〜中世再考の試み〜」
桂川宙峰
◻︎詩 長い橋
桑原啓善
◻︎特集 戦後75年を想う
◻︎「海軍特攻隊司令を務めたクリスチャン川元徳次郎のこと」
渡 里香
投稿
A:戦争体験記・聞き書き
B:エッセイ・小論文
C:平和を呼ぶ声
サムライ平和16号は山波財団迄 お電話 0467-25-7707をいただければお送り致します。
(送料2冊まで164円)火・水休
取り扱い書店
・有隣堂 本店(横浜市伊勢佐木町・関内駅)
・有隣堂 川崎(アトレ川崎・川崎駅)
・ジュンク堂 池袋本店(池袋駅)
・書泉グランデ(神田神保町・神保町駅)
・オリオン書房 ノルテ店(立川市曙町・立川駅)
(鎌倉市内の書店)
・鳥森書店(鎌倉駅東口)
・たらば書房(鎌倉駅西口駅前)
・NPOセンター鎌倉(鎌倉駅西口)
・NPOセンター大船(大船駅西口)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
]]>「サムライ平和(ピース)」山波言太郎総合文化財団編集発行 には、でくのぼう宮沢賢治の会のメンバーからも投稿が寄せられています。今回はサムライ平和13号に掲載された甲斐次郎さんの岩手ミニ紀行を当ブログに転載します。
岩手ミニ紀行 東北砕石工場と賢治が歩いた道
11月(2018年)に岩手に行く機会があり、東山町の東北砕石工場と、石鳥谷(花巻市)などを周ってきました。東北砕石工場は、宮沢賢治の晩年、昭和4年から亡くなるまでの足掛け5年の関わりがあった場所ですが、驚くなかれ、現在も賢治がいた当時の姿のまま保存されています。ちょうど、耐震補強工事中のため、中を見ることはできませんでしたが、砕石の機械やトロッコなど当時のものを見ることができました。賢治が実際にやってきた工場や賢治が歩いたという駅からの道など当時の雰囲気がありありと感じられました。また隣接する「石と賢治のミュージアム」では偶然、「語り継ごう鈴木実先生の志」という催しがあり、参加させていただくことができました。
東北砕石工場と賢治が歩いた道
その催しは、鈴木実さんという方と縁のあった8人の方がそれぞれに思い出などを語る会でした。途中からの参加でしたが、私が聞いた中では最高齢の90歳を超える方が、戦争体験を交えながら、鈴木実先生にいかにお世話になったか、ありがたかった、といったお話をされていました。また、別の方は鈴木実さんのめいっ子の方で、とにかくあったかい人でよくめんどうをみてくれた、とのこと。そのほかにも実先生からユネスコ土曜学校で教わった話など伺うことができました。何も知らずに、会に参加してお話を聞かせていただき、そこで鈴木実さんという方を初めて知ったのですが、相当な人格者であるらしいことを知りました。いただいた資料によれば、昭和23年の戦後復興の時期に、地元東山町に全国2番目となる賢治詩碑「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方のそらにちらばらう」の建立にご尽力されたそうです。また、高校教師として生徒の指標とすべく賢治顕彰碑を設置された、等々の足跡が記されていました。
この鈴木実さんこそ、東北砕石工場に技師・宮沢賢治を招いた鈴木東蔵さんの息子さんだったのです。東北砕石工場や東蔵さんには、何かと暗いイメージを抱いておりましたが、そのイメージが払拭されました。ミュージアムには東蔵さんの足跡や著書の紹介などもあり、東蔵さんがいかに当時の農村の窮状を憂いていたか、ということがひしひしと伝わってきました。
石鳥谷には、サムライ・ピース11号に熊谷先生が書かれた「花巻・石鳥谷紀行」を頼りに、復元されたという肥料設計所を目指しました。観光施設にもなっておらず、すでに日没後ということで、せめて建物だけでも見たい、という気持ちで行きました。案の定、鍵は締まっており誰もおらず、観光案内の肥料設計所の看板だけでも見れたので良し、と思ったのですが、ガラス戸には、御用の方はお電話をください、と電話番号を書いた貼り紙がありました。電話をすると、菊池善男さんご本人がわざわざやってきてくださり1時間近くお話を伺うことができました。2階建ての家をひとしきりご案内いただき、ゆくゆくは民泊できるようにしたい、賢治のゆかりの地を案内したり、賢治めぐりの拠点として使えるようにしたいと思っているんです、と話されました。音楽やイベントや中央から有名な人を呼んできて人を集めるのではなく、賢治とご縁のあったものの務めとして、つながりを作りながら本当の賢治を伝えていきたい、と話されました。「羅須地人協会は、失敗とか言われているけど、ちょうど治安維持法の影響で、親御さんたちに迷惑がかかると悪いからやめたんですよ。」とのお話が実感がこもっていました。なにか菊池信一さんその人が語っているかのような不思議な感覚を覚えました。そして何より、熊谷先生の紀行について、「こうして話したことを上手に臨場感いっぱいにまとめていただいて、本当にありがたいんです。これを見てまた訪ねてきてくださる人がいる。」と何度もおっしゃっていました。そして、ここのことをぜひ伝えてください、とも。
東山では、鈴木実先生のことをしっかりと語り継いでいこう、後世に伝えていこう、先生の精神を受け継いでしっかり生きていかなくてはいけないんだ、というご発言もあり皆さんの楽しげで熱い思いにあふれていました。
石鳥谷では菊池善男さんが歩いてくるお姿を見て、感動してしまいました。愛情のかたまりのような方だ、と感じました。お話を伺っているあいだ中も、なんと、この方は仏様のようなお方だ、とその感動がずっと続いていました。
語り継ぐとはどういうことか、ひしひしと感じた次第です。
(甲斐次郎)
JUGEMテーマ:デクノボー宮沢賢治について
以前、でく会代表の熊谷さんから聞いたのですが、ご存命だった桑原(山波)啓善先生に中村哲先生の話をしたところ、「ああ、あの神様みたいな人ね」と言われたそうです。
私がまだ学生だった頃、当時はあまり有名ではなかった中村哲先生に友人が「尊敬する人はいますか?」というような質問をした時に、中村先生は「宮沢賢治です」と言いました。中村先生はクリスチャンだと言っていたので、宮沢賢治は仏教(法華経)を信奉してのでは? と少し意外に思ったのを覚えています。
でも、今なら、その気持ちは良くわかります。
先生は、「本当の神様」を信じていたのだと思うからです。
「みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちがしたことでも涙がこぼれるだろう。」
(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」第3次稿より)
中村先生は、大旱魃と戦災からアフガニスタンの人を助けるために、診療所を作り、井戸を掘り、用水路を作って、多くの人々の生活を救いました。そして用水路の中心地に、「モスク」(イスラムの礼拝堂)を建てます。現地の人たちは、用水路(水と食べもの)を得たときよりも、それは、それは、喜んだそうです。「これで、本当に私たちは開放された」と。日本人でクリスチャンの中村先生が、それをやったことを、皆が真似をするのなら、この世の宗教戦争や民族の迫害などは、跡形もなく消し飛ぶと思うのです。
中村先生は常々「相手の立場になって考える」ことが一番大事だと言っていました。
・・・・・・・・・・・
中村先生は、皆の役にたつ医者になりたいという若い医学部の学生の進路相談を受けたときに、「君が何か出来事に遭遇したときに、どうするか、ということが道を作って行く」「わたしなどは、こうなりたくないなあ、と思う方へ行った(笑)」というようなことを答えられていました。この話を聞いて、中村先生が宮沢賢治学会のイーハトーブ賞を受けられた時の授賞式(2004年)に寄せた言葉を思い出したのです。
「よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、「こんな筈ではなかった」と思うことの方が普通です。賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。遭遇する全ての状況が――古くさい言い回しをすれば――天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません。」
「イーハトーヴ賞(宮沢賢治学会主催)受賞に寄せて 中村哲」より抜粋
(全文)http://www.peshawar-pms.com/kaiho/81nakamura.html
「みんなの本当の幸い」のためには、日常の愛と奉仕しかないことを、私もずっと教わってきましたが、日常で起こる出来事に、どう対処するか。世の中(人)のためにやるか、自分の保身のためにやるか、心をとるか、モノをとるか。その積み重ねでしか、その積み重ねだけが、世界を変えていく、平和を築いていく礎であること。それだけが、その人の人生の価値を決めるということを、中村先生はご自分の人生をもって示して下さったと思うのです。
「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向ふの青いそらのなかを一羽の鵠(こふ)がとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでせうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじやうにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」
―― 宮沢賢治作 童話「マリヴロンと少女」より
今も中村先生はあちらの世界で、次のもっと大きな活動をされていると信じています。
草薙建
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